Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

『ゼロヴィル』(スティーヴ・エリクソン) 

 

 

 火曜にコロナワクチン3回目接種。2回目ほどではなかったものの、昨日は腕の痛みと発熱の副反応あり。さすがに通勤は無理だったので仕事を休み、自宅でぼんやり読書をしていました。丸一日かけて、スティーヴ・エリクソン『ゼロヴィル』(2007年)読了。『ゼロヴィル』は短い章に区切られているスタイルもあって、このコンディションでも休み休み最後まで読み進めることが出来ました。しかも先の『父と息子のフィルム・クラブ』を読んで感じたモヤモヤが晴れるような内容だったので嬉しくなりましたね。            

 

 始まりは60年代後半のハリウッド。主人公はスキンヘッドに『陽のあたる場所』のモンゴメリー・クリフトエリザベス・テイラーを刺青した流れ者ヴィカー。ハリウッドにやってきたヴィカーは美術の仕事から映画製作に携わるようになり、やがてフィルム編集の才能が買われ、大作映画を監督することになるが・・・というお話。と言ってもハリウッドのサクセス・ストーリーではなくて、映画に憑りつかれた男(曰く「映画自閉症」)の妄想の力とその影響を描いたドラマです。ヴィカーは映画には詳しいが一般常識には疎い(というかほとんど興味が無い)男で、その風貌からマンソン・ファミリーと間違われたり、頭の刺青を『理由なき反抗』のジェームズ・ディーンナタリー・ウッドと間違われてキレる場面が何度も出てくるなど、かなりエキセントリックな人物。主人公が少年時代に作った教会=映画館のオブジェ(出口が無い)、繰り返し見る夢など、様々な謎を秘めています。主人公の他、虚実入り乱れて描かれる業界の人々、ハリウッド周辺にたむろする多彩な登場人物たちも面白い。    

 

 映画を題材にした小説はたくさんありますが、たいていは「観客」の物語であり、映画製作となれば「監督」「俳優」が多いという印象です。本作は「編集」に着目したというのが珍しいところ。ちなみに映画と妄想といえば思い出す大傑作が『フリッカー、あるいは映画の魔』(テオドア・ローザック)で、あれは「観客」「映画館」「映画評論」、映画製作も「監督」から「脚本」「撮影」「編集」「音楽制作」から「上映」に至るありとあらゆる要素がぶち込まれた作品でした。ただし『フリッカー』はミステリー小説なので妄想が上手く収まるべきところに収まってしまう不満は無きにしも非ずで、その点、『ゼロヴィル』の妄想の力は負けていません。ヴィカーが『裁かるゝジャンヌ』」の発見を経て最後にたどり着いた場所がどこであったのか・・・。

 

 『陽のあたる場所』から始まり、無声映画の伝説的な古典『裁かるゝジャンヌ』に至るまで、本書ではたくさんの映画が登場します。タイトルが明記されずあらすじや登場人物の所作、エピソードだけが語られる作品も山のようにあり、言及された映画はいったい何本に上るのか。これを読み解くだけでも映画マニアならきっと楽しめる事請け合いです。日本映画では『盲獣』(増村保造)や『殺しの烙印』(鈴木清順)が登場、エリクソンのマニアぶりが伺えます。『殺しの烙印』は殺し屋が銃身に止まった蝶のせいで狙いを外すあの印象的なエピソードが引用されています。本書を読んで『裁かるゝジャンヌ』はもちろん、『陽のあたる場所』を見返したくなりました。『日のあたる場所』は大昔、高校時代に見たっきりでほとんど覚えておらず、そんなに凄い映画だったかと。本書は映画だけでなく音楽ネタも多数盛り込まれています。映画を題材にした楽曲が引用され、主人公がニューヨークのCBGBに出入りする場面が出てきたり。

 

 本作は何と映画化されているとのこと。調べてみたら、ジェームズ・フランコ監督・主演『ゼロヴィル:ハリウッドに憑かれた男』(2019年)。この難物の映画化を試みるその意気やよし。本書で言及されるたくさんの映画や音楽を全て上映時間内にフォローすることは不可能と思われ、映画化に際しどのようなチョイスが行われているのだろうか。そこを見るだけでも相当に興味深いと思う。映画のタトゥーを彫ったスキンヘッド軍団が出てくる場面とか、どんな風に映像化されてるか見てみたい。         

 

 あとがきによると、エリクソン自身は本書について「映画と関係ない反響が一番嬉しかった」的なことを言ってるらしい。映画や音楽に全く興味が無い人が本書を読んだらどう思うんだろう。細部は楽しめないにしても、主人公の魂の彷徨の物語は十分に魅力的であり、読み終えた時にはきっと『日のあたる場所』『裁かるゝジャンヌ』を見たいと思うのではなかろうか。