Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

『火の玉ボーイとコモンマン 東京・音楽・家族 1951~1990』(鈴木慶一)

 今日からゴールデンウィーク。今回は何と7連休ですよ。残念ながら5月6日が仕事なので10連休は叶いませんでしたが、それでも有難い。少しでも自分の好きなことをして気分転換を図りたい。ムーンライダーズの新譜聴き込みたい。映画館にも行けるといいな。

 

 さて、連休初日、今日のメインは家族サービスでした。天気はあいにくの雨。昨日娘がどこかで眼鏡を落として失くしてしまったので、2人で探しに行きました。昨日学校から帰って、仲の良い友達と公園で遊び、そこからの帰り道のどこかで落としたみたい。ずっと掛けてれば良かったのですが、視力が落ちてきたからと1月に作ったばかりでまだ掛け続けることに慣れていないので、遊ぶ間は外していたらしい。1月に作ったばかりの新しい眼鏡を速攻失くしたという事で、ママに激詰めされて落ち込んでいたので、励ましつつ。公園からの帰り道にあるパン屋、洋菓子屋、コンビニにも寄って落し物が届いていないか聞きながら、2時間ほど付近を探しましたが、結局見つからず。落とした拍子に植え込みの中とか側溝にでも落ちてしまったのか・・・。娘は「小さい子が拾って、砂場に埋めてしまったのではないか」と言っていました。まさかそんなと思うけど、娘がもう少し小さい頃、砂場で遊んでいると、いろんなものが砂の中から出てきたのだといいます。探し物が見つからなかったのは残念だけど、娘とゆっくりお喋り出来て和みました。

 

 家の用事の合間に、遠山純生氏がTwitterで紹介していたソール・バスの短編『The Searching Eye』(1964年)をチェック。タイトルデザイナーとして知られるソール・バスの監督第一作にあたり、ニューヨーク万博用の映像とのこと。冒頭は様々な生き物の目のアップ、やがて人間の目となり、その少年が自然の中を歩き回る姿と、虫や魚や鳥、川や海の水、太陽等をグラフィカルに映し出す映像がモンタージュされます。遠山氏が指摘している通り、終盤の映像には後年の監督作『フェイズⅣ 戦慄!昆虫パニック』(1974年)を思わせる感覚がありました。

 

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 夜になってようやく時間が出来たので、久しぶりに『火の玉ボーイとコモンマン 東京・音楽・家族 1951~1990』(鈴木慶一)を本棚から引っ張り出して再読。

 

 

 慶一さんと父(昭生)、弟(博文)、(当時の)妻(さえ子)の対談を収録した一冊。出版は1989年で、当時ムーンライダーズは10周年を終えて活動休止中。慶一さんはソロワークとして『MOTHER』をリリースした頃。まだ30代前半の慶一さんはかなり尖がっていて、ムーンライダーズの歩みを振り返る博文さんとの対談では業界各方面へのかなり辛辣な発言も散見されて面白い。2人がそれぞれ作詞を始めたきっかけを語る部分は興味深かったなあ。

 俳優の父昭生氏との対談では、羽田の町の雰囲気や鈴木家の独特な様子が生き生きと語られています。演劇とロックの違いを論じた部分には、こんなくだりがありました。父が「芝居は宇野重吉みたいに死ぬまでできるけど、ロックはどうなのか。一番上(年齢)はどのくらい?」と聞いて、慶一さんが「キース・リチャーズが一番上くらいで、彼は46くらいかな」と。46で一番上だったのか当時のロック界は。対談の最後には、父が「音楽のことってよくわからないけど、ロックって難しいよな。変わるということと、続けるということを一緒にやっていかなきゃいけないんだから」と言うと、慶一さんは「とにかく、変わりながら、続けてきたんだよ」と。そういう発言から後、慶一さんとムーンライダーズは実に33年間もそれを実践し続けているのだから凄いですよ。