Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

『ガンファイターの最後』(アラン・スミシー)

 

 BSPで放映された『ガンファイターの最後』(1969年)をチェック。ドン・シーゲルBOXが発売された当時(2007年)以来の再見。出演リチャード・ウィドマーク、レナ・ホーン、ジョン・サクソン、キャロル・オコナー、ケント・スミスほか。

 

 『ガンファイターの最後』は当初ロバート・トッテンが監督したが、主演のリチャード・ウイドマークとモメて降板、ドン・シーゲルが引き継いだといういわく付きの作品。クレジットではシーゲルでもトッテンでもなく、お決まりの「アラン・スミシー」名義となっています。ちなみにトラブルで監督が降板した時などに使われる「アラン・スミシー」という名前が最初に使われたのが本作らしいですね。

 

 時代の流れについて行けない頑固な老保安官(リチャード・ウィドマーク)が、町の実力者達にバッシングされ、やがて惨殺されるまでを描く異色の西部劇。ジョン・ウェインが老ガンマンを演じた『ラスト・シューティスト』(あ、あれもドン・シーゲルだった)みたいな路線を狙ったと思われますが、何で町の皆が保安官を怖がってるのか、その辺が説明不足なんでドラマとしては何か納得できない感じです。町ぐるみで隠蔽したい訳ありの過去でもあるのか?それとも単に保安官が住民のプライベートを知りすぎてるから?しかもウィドマークがまた頑固一辺倒というか異常に刺々しくて聞く耳持たないタイプで、どうにも感情移入できない感じです。『真昼の決闘』みたいに保安官が単身で流れ者の悪党一味と闘うとかそういった展開ではなくて、主人公が戦うのは町の住民たち。素人の死者が多数出て、最後は主人公が言い訳する機会も与えられないままに銃殺されてしまうから陰惨極まりない。ドラマのちぐはぐな感じは監督交代劇があった為かもしれませんが、再見しても同じような印象でした。

 

 考えてみると本作が公開された1969年といえばアメリカン・ニューシネマの時代。『イージー・ライダー』『真夜中のカーボーイ』、西部劇なら『ワイルドバンチ』、そしてマカロニウエスタンの全盛期。本家のアメリカンな西部劇など出る幕が無かったのかもしれません。同じく盛りを過ぎたガンマンが男の意地で命を散らす『ワイルドバンチ』はまだ救いがあった。本作は何の救いもない。本作の後、シーゲルが現代の西部劇(体制の中で主人公が孤独な戦いを強いられる)『ダーティハリー』を放つのは2年後の1971年。

 

『ガンファイターの最後』 DEATH OF A GUNFIGHTER  

監督/アラン・スミシードン・シーゲル) 脚本/ジョセフ・カルヴェリ 撮影/アンドリュー・ジャクソン 音楽/オリヴァー・ネルソン 

出演/リチャード・ウィドマーク、レナ・ホーン、ジョン・サクソン、キャロル・オコナー、ケント・スミス     

1969年 アメリ