Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

『地獄』(セルジュ・ブロンベルグ、ルクサンドラ・メドレア) 

 

 

 渋谷Bunkamuraル・シネマで開催中の「没後40年 ロミー・シュナイダー映画祭」にて、セルジュ・ブロンベルグ、ルクサンドラ・メドレア監督『地獄』(2009年)鑑賞。『悪魔のような女』『恐怖の報酬』などで知られるサスペンス映画の巨匠アンリ゠ジョルジュ・クルーゾー監督未完の大作『地獄』を巡るメイキング・ドキュメンタリー。『地獄』は『映画監督の未映像化プロジェクト』『幻に終わった傑作映画たち』といったガイド本には必ず取り上げられる伝説の企画です。クルーゾー製作・監督・脚本のワンマン体制の元、人気スター、ロミー・シュナイダーを迎えて製作開始されたが、撮影は遅々として進まず、やがて監督が心臓発作で倒れて製作中止となってしまった。残されたフィルムと関係者へのインタビューで構成されたドキュメンタリー映画です。

 

 『地獄』は湖畔に建つホテルの主人が新妻の浮気を疑い、妄想に囚われて破滅してゆくお話。撮影されたフィルムの断片と、別の俳優によって新たに撮影された欠損場面の再現によって、ストーリーの概要は伝わってきます。残されたフィルムは冴えたショットの連続。夫が湖で水上スキーを楽しむ妻を追って疾走する場面。湖上のボートと水上スキーの妻、湖を見下ろす道路を走る夫の位置関係がダイナミックに表現されて、夫の激しい焦燥感が伝わってきます。1人で街へ出かけた妻に疑惑を抱いた夫が後を付ける場面。デ・パルマの『ボディ・ダブル』よろしく妻の後を付け回す夫(カメラ)は疑惑と欲情の狭間でギラギラと輝いています。湖畔に建つホテル、脇にそびえる高架橋というロケーションがまずもって素晴らしい。

 

 妻の浮気を疑う夫の妄想を映像化したショットがさらに過剰で驚かされます。高架橋の線路に全裸で縛り付けられた妻に列車が迫るショット。特殊なメイクと肌の上を蠢くような照明効果で妖しい笑みを浮かべる妻。夫(と監督)の妄想と熱い視線を受けて光り輝くロミー・シュナイダーYouTubeにアップされたこの映像を見た時にはフェティッシュな映像の連打に度肝を抜かれました。クルーゾー監督のこだわり抜いた映像に残されたロミーの姿、カメラテストやオフショットのリラックスした愛らしい表情も見られるし、ファンには大満足の映画でした。でもロミー自身はこの映画を(幻の企画となってしまったことを)どう思っていたのだろう。監督が心臓発作で倒れた後、「これで撮影中止の口実が出来た」的な発言があったとスタッフが証言していたので、長引く撮影に疲労が募っていのは間違いないところでしょうが・・・。

 

 セルジュ・ブロンベルグ、ルクサンドラ・メドレア監督にはこの幻の企画を取り上げてくれてありがとう、素晴らしいショットに陽の目を当ててくれてありがとうと感謝です。なんですが、幻の企画を巡るメイキング・ドキュメンタリー映画としてはいささか物足りなさも感じました。クルーゾー監督が何故この企画を撮り終えることができなかったのか。その点に対する作り手の考察が無い。関係者の証言から、俳優に対する厳しい仕打ち(嫌気がさした俳優が現場を去っていった)とか、不眠症なので真夜中にスタッフに電話で指示を出す、同じ場面を何度も何度も撮り直す(どこが悪いのか周囲には分からない)、撮影クルーを3班編成にしたのに全く生かされなかった、といったクルーゾー監督のパワハラ的な態度で周囲が疲弊してゆく感じは伝わってきました。でもこのドキュメンタリーの作り手の立ち位置が見えない。映画は「次回作『囚われの女』も実験的な映画だった、クルーゾー監督は映画界の偉人だ」みたいな字幕がでておしまい。せっかくこの企画を扱ったならば、もし『地獄』が完成していたら、とかクルーゾー監督の本当の意図は何だったのか、といった事をもっと突っ込んで提示して欲しかったなあと思いました。

 

 と、そんな風に思ったのは、撮影が進まなかったのは、別にクルーゾー監督がどう撮っていいか分からなくなりドツボにはまったからではないんじゃないかと思ったからです。関係者の証言の通り、クルーゾー監督のこだわりで俳優やスタッフがうんざりしていたというのは確かでしょうが、監督自身は心の底から楽しんでいたのではないかと思います。残されたフィルムを見る限り、映像設計のヴィジョンは明確にあったようです。主演のロミー・シュナイダーも体当たりで臨んでくれている。クルーゾーはこの撮影をいつまでもいつまでも終わらせたくなかったんじゃないかなと思いましたね。

 

『地獄』 L'Enfer d'Henri-Georges Clouzot

監督/セルジュ・ブロンベルグ、ルクサンドラ・メドレア 音楽/ブルーノ・アレクシウ 

出演/ロミー・シュナイダー、セルジュ・レジアニ、べレニス・ベジョ、ジャック・ガンブラン 

2009年 フランス