Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

読書記録

 最近読んだ書籍、または大分前に読んだけど感想を書きそびれていた書籍について、ここらでまとめて感想を書き記しておきます。    

 

 

ハロルドとモード』(コリン・ヒギンズ) 

 同名映画(1971年)のオリジナル脚本家コリン・ヒギンズによるノベライズ。映画まんまなんだけど、文章だと少し恥ずかしい。これを血肉化した俳優たち(バッド・コートとルース・ゴードン)とハル・アシュビー監督の手腕を改めて感じた。キャット・スティーヴンスの歌の力も。

「世界にこれ以上壁はいらない。私たちがしなきゃいけないのは、外へ出て、もっとたくさんの橋を作ることよ!」

 

 

 

『はい、チーズ』(カート・ヴォネガット) 

 ヴォネガットの未発表短編集読了。執筆されたのは1950年代、SFにとどまらない若きヴォネガットの多彩な技を味わえる。中でも『エド・ルービーの会員制クラブ』『鏡の間』は正に50年代のフィルム・ノワールを思わず強烈なサスペンスで、こんなのも書いてたのかと驚いた。モノクロの映像、カット割り、音楽の入り方、俳優の顔つき、エンドマークの出方まで、脳内でクッキリと再現可能だ。

 

 

 

『非情の裁き』『赤い霧のローレライ』(リイ・ブラケット

 リイ・ブラケットはSF、ファンタジー、ミステリーで活躍した女性作家。『非情の裁き』(1944年)はタフな探偵の行動でグイグイ引っ張るチャンドラー直系の正調ハードボイルド・ミステリー。堂々たる風格の作品だが、ブラケット29歳の長編デビュー作。繊細な情景描写と凄惨な暴力描写が同居する読みごたえのある作品だった。ブラケットは『非情の裁き』を気に入ったハワード・ホークスに招かれ『三つ数えろ』の脚本に参加。ホークスは会うまで男性だと思っていたという。以降『リオ・ブラボー』『ハタリ!』等ホークス作品の脚本を執筆する。70年代にはアルトマンの『ロング・グッドバイ』でチャンドラーの再構築に参加。遺作は『SW/帝国の逆襲』の第1稿。ちなみにキャプテン・フューチャー・シリーズで知られるエドモンド・ハミルトンの奥さん。凄い人物なのだ。

 『赤い霧のローレライ』は金星を舞台にした冒険ファンタジー。短編4篇を収録。表題作はレイ・ブラッドベリとの共作。ハープの音に導かれた死者の軍団が町を滅ぼす死屍累々のクライマックスは強烈だった。これ1940年代の作品なんだよなあ。こういうの(スペオペ!)久しぶりに読んだので、懐かしかった。

 

 

 

スティル・ライフ』『きみのためのバラ』(池澤夏樹) 

 学生時代に読んだ池澤夏樹の初期の3冊『スティル・ライフ』『夏の朝の成層圏』『真昼のプリニウス』は大好きで、同時期に読んだ村上春樹よりも響くものがあった。90年代以降の池澤作品は追いかけていなかったので、短編集『きみのためのバラ』(2007年)は久々に読んだ池澤作品。混んだ電車の中を苦労して移動する行為が都市生活の不安と若き日の美しい光景を繋ぐ表題作。収録作品の中では『20マイル四方で唯一のコーヒー豆』が好きだった。『ヘルシンキ』には、『スティル・ライフ』の冒頭のように木を使った表現が出てきて印象に残る。

「木である私はずっと昔の記憶しか持たず、ただそこに立って夏の美しい光と冬の弱い光を浴び、雨と雪と風を享け、一日単位の深呼吸をしている。

 

 『きみのためのバラ』が良かったので『スティル・ライフ』(1988年)も久しぶりに再読。学生時代に読んで大好きだった1冊。昔から『長いお別れ』的な2人の男が出会い別れていく話が好きだった。本作もまたその変奏。併録の『ヤー・チャイカ』も良い。先に読んだ『20マイル四方で唯一のコーヒー豆』に『ヤー・チャイカ』と同じ鷹津という人物が出てくるが別人だった。舞台が世界の各都市に広がった『きみのためのバラ』に比べるとお話のスケールは小さい。でも不思議なことに『スティル・ライフ』の方が世界の広がりを感じさせるのだった。

「世界ときみは、二本の木が並んで立つように、どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている。」

 

 

 

『花と機械とゲシタルト』(山野浩一) 

 短編集『鳥はいまどこを飛ぶか』『殺人者の空』に衝撃を受けて以来、ずっと読みたかった氏の唯一の長編が遂に復刊となった。原書は。1982年 出版。北国の海岸に建つ研究所「反精神病院」を舞台に、バラード呼ぶところの内宇宙への冒険が繰り広げられる。これは期待に違わぬ大傑作。巻末の詳細な解説も読み応えあり。本書が大島弓子の影響下に書かれたものである事、また足立正生監督と共同で執筆した映画脚本が存在する事。その脚本を一体誰が映画化出来るのか想像もつかないが(黒沢清高橋洋?)、もしかするとブラッティ『トゥインクル・トゥインクル・キラー・カーン』を遥かに凌駕する傑作が生まれるかもしれない。終盤の奔放な幻覚描写にバラードの『夢幻会社』を連想したが、解説に言及されていたので納得。

 

 

 

村上春樹『猫を棄てる 父親について語るとき』(2020年)

 村上春樹が父親と自らのルーツについて綴ったノンフィクション。幼い頃、父親と猫を棄てに行った(そして失敗した)小さなエピソードに始まり、戦争に翻弄された父親の青春時代、疎遠だった父親と60代になってようやく和解するまでの経緯、様々な偶然から自分の生があるという実感。実直な語り口が沁みる。高妍さんの挿絵がとても良い。トリュフォーの自伝の話が出てきたのはちょっと意外だった。春樹とトリュフォーはあんまりイメージが結びつかなかったので。