Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

読書記録

 最近読んだ書籍、または大分前に読んだけどブログに感想を書きそびれていた書籍について、まとめて感想を書き記しておきます。

             

『彼女がエスパーだったころ』(宮内悠介)

 宮内作品が気に入って、早くも4冊目。『彼女がエスパーだったころ』(2016年)は、火を使う猿、超能力、ロボトミー擬似科学終末医療、カルト、と6つの切り口で生を模索する連作短編集。人は何故胡散臭い世界に惹かれてしまうのか。そこに救いはあるのか。読み進むと、語り手が同一人物であることが分かって来る仕掛け。前半は記者として事件に客観的な立場で接している語り手は、後半には当事者として深く関わってゆく。暗いエピソードが続くが、雪の異国で迎える終幕が鮮やかで救いがある。

 

 

 

『ヨットクラブ』(ディヴィッド・イーリィ)

 ブラックユーモアに彩られた不気味な短編集(2003年)。この路線には耐性がある方だと思うけど、これはかなりキツかった。読んだ日の精神状態もあって読み通すのがかなり辛かった。『面接』とか『隣人たち』とか何なんだろうなあ。ハイスミスともまた違った嫌あな感覚。後書きで、イーリィがフランケンハイマー『セコンド』の原作者であることを知った。なるほど納得、あの世界観だ。『セコンド』の原作『蒸発』も読んでみたいようなみたくないような・・・。

 

 

 

『書くことについて』(スティーヴン・キング) 

 キングが自らの生い立ち(幼少時代から作家になるまで)、作家志望者への具体的なアドバイスなどを綴ったエッセイ集(2000年)。ユーモラスで飾り気のない文章からキングの実直な人柄が伝わってくる。終盤には交通事故に遭った顛末が子細に記載されていた。大事故だったのだな。

 

 

 

『夜の小学校で』(岡田淳

 岡田淳は児童向けファンタジーを多数発表している作家で、子供向け読書のガイド本などには必ず名前の挙がってる著名な作家。『ようこそ、おまけの時間に』(1981年)がとても良かったので、『夜の小学校で』(2012年)も読んでみた。これまたあっさり分かりやすい文章と展開で好感度。挿絵(絵も岡田淳)も良い。プロフィールを見ると38年間小学校の図工教師を務めていたそうで、細やかなデティールや実感は経験からのものなのだと納得。

 

 

 

『血とエロスはいとこ同士 エモーショナル・ムーヴィー宣言』(真魚八重子

 『映画なしでは生きられない』『バッドエンドの誘惑~なぜ人は厭な映画を観たいと思うのか~』に続く評論集(2019年)。見たことのない邦画(ロマンポルノ等)の評論がたくさんあって興味深かった。真魚さんは四方田犬彦編集『日本映画は生きている』に寄せた勝新太郎論も素晴らしかった。新しい視点の提示、そして読者をスクリーンへと誘うという映画評論の鏡のような名文。問題はシャラマンだなあ。真魚さんはイチオシしてるけど、自分はシャラマンの良さがどうも理解できないのだ。見直すべきかどうしよう。

 

 

 

『映画広告図案士 檜垣紀六 洋画デザインの軌跡 題字・ポスター・チラシ・新聞広告集成』(檜垣紀六 桜井雄一郎、佐々木淳 編著)

 出版元はカルト作品のソフト化で知られる株式会社スティングレイ。2020年でデザイナー生活60周年を迎える檜垣紀六が手がけてきた、1960~90年代を彩る外国映画のポスター、チラシ、題字、新聞広告を、檜垣本人の解説と回想とで振り返る。お馴染みのポスターが次々登場し大興奮。税込み8,712円と高価だが、これは必読の1冊。

 

 

 

『いまモリッシーを聴くということ』『花の命はノー・フューチャー DELUXE EDITION』(ブレイディみかこ) 

 『いまモリッシーを聴くということ』は80年代以降のイギリス政治とモリッシーの歩みという切り口が新鮮で面白かった。ちゃんと音楽好きが書いていることが伝わる文章も説得力がある。モリッシーのソロアルバムは『マルアジャステッド』までしか聴いておらず、そこから次のアルバムまでは7年のブランクがあった事を知った。スミスは今でも時折聴くけれど、モリッシーのソロはしばらく聴いていない。近い内聴き直してみたいと思う。モリッシー本がとても良かったので手に取ってみたデビュー作『花の命はノー・フューチャー DELUXE EDITION』も面白かった。イギリス生活が生き生きと綴られていて、音楽とのかかわり方もとてもリアルに響いてくる。         

 

 

 

『批評の教室-チョウのように読み、ハチのように書く』(北村紗衣)

 さすが大学の先生だけあって文章は明晰、例として挙げられる固有名詞も硬軟り交ぜ嫌味が無いし、面白かった。批評はコミュニケーションツールであると言うアプローチはとても共感できると思った。 その通りだと思う。

 

 

 

『映画で学ぶ現代史』(押井守

 タイトルのようなアカデミックな書物ではなくて、映画ファンの居酒屋談義チックな読み物だった。

 

 

 

『いかに終わるか 山野浩一発掘小説集』(山野浩一) 

 山野浩一の単行本未収録、未発表の短編、そして遺作『地獄八景』を収録。バラード味を感じる『都市は滅亡せず』、切れ味鋭いショート・ショート連作『21世紀の画家M・C・エッシャーのふしぎ世界』等、実に面白い。『廃線』は、昔王子に住んでたので都電の様子が目に浮かぶようだった。読んだ日の精神状態もあるかと思うけど、中では少し異質な『子供の頃ぼくは狼をみていた』が響いた。「そしてぼくたちは狼を待った。」の一文が何故か右下がりの斜字になってるが、あれは意図したものかミスプリントか。

 山野の創作活動をおさらい出来る詳細な解説が有り難い。仕事の出発点に映画があった事が知れて成る程なと。『花と機械とゲシタルト』脚本化に際して足立正生が出て来るのが不思議だったが、そういうポジションだったのか。「未来学」批判としてのSF、という辺りも共感できるところだった。

 苦渋に満ちた作品が並ぶ中、遺作『地獄八景』だけは妙にヌケが良い。ルビッチ『天国は待ってくれる』と中川信夫『地獄』が出会ったような和洋折衷の冥土感覚、しかも紛うことなきハッピーエンド。あの違和感だけはまだ消化し切れずにいる。

 

 

 

『署名はカリガリ―大正時代の映画と前衛主義―』(四方田犬彦

 言わずと知れたドイツ表現主義時代の名作、ロベルト・ヴィーネ『カリガリ博士』(1920年)。これまで断片的に見たことはあったが、恥ずかしながら全編通して見たことが無かった。行きつけの図書館の上にある上映スペースで上映されるという情報に、迷わず足を運んだ。映像的にも説話的にも後年のホラー、サスペンス映画への影響は一目瞭然。俳優たちの独特のメイクや誇張された身振り、歪みまくったセット、字幕の活用(カ・リ・ガ・リ!)、陰影に富んだ撮影。繰り返し出てくる拘束衣。この不穏な映像を、何の予備知識も先入観もなく浴びた当時の観客の衝撃はさぞ大きかっただろう。自分はついお勉強のおさらいみたいな見方になってしまうのが辛かった。もっと早く見ておくんだったと後悔した。

 『カリガリ博士』見たので、前から気になってた四方田犬彦『署名はカリガリ―大正時代の映画と前衛主義―』(2016年)を早速読んでみた。ドイツ表現主義に霊感を得て生み出された幻の映画たち。登場するのは谷崎潤一郎大泉黒石溝口健二衣笠貞之助。いやこれは最高だった!気が狂わんばかりに面白い一冊。特に谷崎潤一郎篇が衝撃的。谷崎が映画製作に関わっていたとは知らなかった。谷崎が映画化を企画した短編『人面疽』、これが映画の魔に触れた恐ろしい作品。1918年にこれを書いた谷崎の先見性、いや妄想力には慄然とする。谷崎のヴィジョンを詳細に再現する著者の筆致も冴え渡っている。