Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

『杉本博司 絶滅写真』(東京国立近代美術館)

 

 先にEテレ「日曜美術館」の『滅びゆく写真 そして人類 現代美術作家・杉本博司』(7/17放映)を見て、これは絶対に自分の好きな世界だと強烈に響くものがあった。東京国立近代美術館で展覧会開催中と知り早速足を運んだ。

 

 朝から猛暑の休日、会場に入るとひやりとした空気に包まれてまるで別世界だ。写真がデジタル全盛となった今、消えゆく銀塩写真を「絶滅写真」と位置付けて回顧しようという企画で、深い思索と技術に裏打ちされた杉本の写真群は実に見応えがあった。

 

 白眉は〈劇場〉〈海景〉シリーズ。

 〈劇場〉シリーズは様々な映画館のスクリーンが白い光を放つ様が捉えられている。先の番組では「カメラを開きっぱなしにして映画1本分を撮影すると白く輝くスクリーンとその反射で朧気に浮かび上がる場内の様子が写る」と解説されていた。「映画1本分の時間を捉えた」との発言も。スクリーンに映し出されていた映画は(写真には写っていないが)ジョン・トラボルタ主演の『サタデーナイト・フィーバー』だったという人を食った感覚が実に面白い。(シネフィルからはこのセレクトは出てこないだろう)

 自分がこれまで通った数多の映画館、映画や文学、音楽の中に登場する世界中の映画館の記憶がまるで走馬灯のように脳裏に浮かび、溶け合っていくような感覚を覚えた。

 

 

 海と空の狭間を捉えた〈海景〉シリーズは、先の番組で「現代人が、古代人と同じ風景を見ることができるとしたら、それは海だろう」というコンセプトが語られていた。空と雲と海、それだけが写るシンプル極まりない作品が並ぶブースは、時間を内包したモノクロームのひやりとした空間がただただ素晴らしくて、作品に近づいたり、ベンチに座って離れて眺めたりを繰り返しながら、時間を忘れて見入ってしまった。

 

 

 博物館や蝋人形館の展示物を活用しリアルな時代写真を再現する〈ジオラマ〉シリーズや肖像写真のシリーズは、面白いとは思うけれど、コンセプトが明快過ぎて(仕上がりもリアルに過ぎて)あんまり好きにはなれなかった。こちらの妄想の入り込む余地が無い気がして。カストロの偽肖像写真に添えられた一句(展示された作品にはどれもユーモアたっぷりのコメントが添えられている)には思わず笑ってしまったが。

「英雄やそのばかぎりの勇ましさ 長引きみればただの独裁」

 

 

 他に面白いと思ったのは、世界の名建築をピンボケで捉えたシリーズ。建築家が発想した最初のヴィジョン、ぼんやりと思い浮かぶ建築物のかたちを捉えようという作品群。「建築家のヴィジョン」というコンセプトはともかく、これらの作品はまるで夢に出てきた風景、デジャヴを覚える偽りの記憶のようで想像を掻き立てられるものであった。

 

 うーんこれは素晴らしかった。会期中にぜひもう一度足を運んでみたいと思う。

 

#杉本博司 #絶滅写真

ロジャー・コーマン5連発+α

 

 短編映画鑑賞からの流れで、自然と(?)ロジャー・コーマンに行きついた。50年代~60年代初頭の作品は上映時間70分程度でサクッと鑑賞できて、内容も別に難しくないから字幕なしでも支障が無いのだ。

 

 

『蜂女の恐怖』(1960年) 

 業績不振にあえぐ化粧品メーカーの社長(コーマン作品常連のスーザン・キャボット)が、スズメバチのエキスから作った美容液を注射すると怪物化し、夜な夜な人間の血を吸う蜂女に・・・。

 『蠅男の恐怖』のヒットに対抗して、向こうが蠅ならこちらは蜂でいこうとコーマン。オリジナルポスターは人間の顔をした巨大な蜂が人間を襲う姿が描かれているが、これはコーマン商法の超誇大広告!実際は等身大の怪物で、まるでショッカーの怪人ハチ女だ。スケールは小さいが、手堅い演出で見せる。蜂女が血を吸うだけでなく捕食していることを示唆する辺りはなかなか怖い。

 

 

 

『ごろつき酒場』(1957年) 

 ロックンロール映画の流行にAIPから依頼を受けて製作した作品。原題ROCK ALL NIGHTが何で『ごろつき酒場』に!?と思うけど、後半は邦題通りの展開になる。脚本はチャールズ・B・グリフィス。

 冒頭で人気グループのプラターズが2曲たっぷり披露する見せ場がある。本作はどうやらプラターズのスケジュールありきで無理やりでっち上げられた企画のようで、彼らの歌が終わると、主人公と酔客の喧嘩騒ぎ、歌手志望の女の子の話、ギャングの立てこもり事件、と脈絡のない展開に困惑させられる。

 最後はコーマン作品常連のディック・ミラーが活躍して映画を何となく締め括る。ミラーといえば『血のバケツ』のビートニク殺人鬼、『リトルショップ・オブ・ホラーズ』の花を食べる男など珍妙な役柄が多いけど、本作では珍しくニヒルなヒーロー役で格好良いです。

 



『衛星戦争』(1958年) 

 エイリアンが人類の宇宙進出を邪魔するお話で、50年代B級SF映画ならではのレトロな雰囲気が楽しい。背景には当時の加熱した米ソの宇宙開発競争があって、スプートニク打ち上げの話題がホットなうちに速攻で製作されたのだという。

 出演はディック・ミラー、スーザン・キャボット、リチャード・デヴォン。先日見たコーマン製作の戦争映画『Battle of Blood Island』に主演していたデヴォンは、濃いルックスと長身を生かしてエイリアンに憑依された上司を怪演。エイリアンが使う分身の術は素朴極まりない見せ場だけど、決着の付け方に(ほんのちょっと)ヒネリがあって面白かった。

 


 コーマン自身も管制官の役で出演。これがなかなかの男前だった。

 



『Sorority Girl』(1957年) 

 女子大の学生寮を舞台に、陰湿な人現関係を描くコーマンにしては異色の女性ドラマ。突然の平手打ちやクリケットの板を使ったお仕置きなど、ギョッとする見せ場が随所に。この題材がコーマン自身から出たとは思えないので、当時このような学園ドラマの流行があったのだろうか。

 主演はまたしてもスーザン・キャボット。高飛車なお嬢様の役がピッタリハマっていた。

 本作はタイトルバックのアニメーションが無茶苦茶に不穏な雰囲気で目を惹かれる。劇中でスーザン・キャボットの部屋の壁に飾ってある絵画がチャールズ・ミンガス『直立猿人』のジャケットに似てるなと思って、鑑賞後確認したら実際は全く似てなくてがっかりした。ジャケットを描いたのはフリオ・デ・ディエゴというスペイン出身の画家で、画業をチェックしてみたら、『Sorority Girl』のタイトルバックに酷似した雰囲気の作品に出くわした。偶然かもしれないが、もしかしてタイトルデザイナー(ビル・マーティン)が意識していたのかもしれない。

 

直立猿人

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『レッド・バロン』(1971年)

 第一次世界大戦で実在したドイツ空軍の撃墜王マンフレート・フォン・リヒトホーフェン(ジョン・フィリップ・ロー)、通称レッド・バロンの半生を描く戦争映画。独英両空軍の撃墜王の対決を通じて、戦場における騎士道精神の終焉と手段を選ばぬ大量虐殺の近代戦争への移行を描く力作だった。

 50年代~60年代のゲテモノ映画とは全く違った端正なタッチに驚く。空中戦の場面は台詞無し、状況説明無し、何なら戦争映画っぽい勇ましい劇伴も無し。全編愁嘆場は一切無し。非情極まりない結末には痺れた。かと思えば、複葉機と野生の馬の並走、雲間にかかる虹などハッとする見せ場もある。うーん、これぞコーマン演出の真髄か。

 劇中、虹の七色に塗装した戦闘機を「空飛ぶサーカスか!」と言う台詞が出てくる。Flying Circusといえば、モンティ・パイソン!何とその番組名の語源は、レッド・バロン部隊の実話だったというから衝撃だった。

 

 

 

『デススポーツ』(1978年)

 こちらはコーマン製作、デヴィッド・キャラダイン主演のSFアクション。監督は快作『ゲット・クレイジー』『ロックンロール・ハイスクール』のアラン・アーカッシュとヘンリー・スソ。映画データベースでは時々コーマン監督作品とされている場合があったりして紛らわしい。でも御大がかなり関与しているのは間違いないところだろう。

 独裁者が圧政を敷く未来社会、人間狩りで集められた人々が死のゲームに強制参加させられる。同じくコーマン製作の『デス・レース2000年』の続編的趣向で、見せ場は剣劇とモトクロス的なバイクアクションのミックス。つまらなくはないんだけど、『デス・レース』ほど盛り上がらないのは、ゲームに参加するプレイヤー、ゲームに熱狂する大衆の顔が見えないからかもしれない。『デス・レース』に比べると毒気も薄くて、そこは残念だった。

 

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 という訳で、今回は何だかスーザン・キャボット&ディック・ミラー特集みたいになってしまった。コーマン作品はこのまま連続鑑賞しコンプリートしたいところだけど、まだまだたくさんあるのだ。ポー原作の怪奇映画も見直したいな。

 

ディック・ミラー

 

スーザン・キャボット

マックィーン主演二本立て『ブリット』『シンシナティ・キッド』

 先にBSでスティーヴ・マックィーン主演作が連続放映された。『ブリット』『華麗なる賭け』『シンシナティ・キッド』『ゲッタウェイ』という素晴らしいラインナップ。名画座っぽくて良いですね。その内、『ブリット』『シンシナティ・キッド』を鑑賞したので感想を書き記しておきます。

 

 

『シンシナティ・キッド』(1965年)

 ニューオーリンズを舞台に、地元で敵なしの若手ギャンブラー、シンシナティ・キッド(スティーヴ・マックィーン)が、「ザ・マン」と呼ばれる大物ギャンブラー(エドワード・G・ロビンソン)に勝負を挑む物語。監督ノーマン・ジュイソン、脚本はリング・ラードナー・ジュニアとテリー・サザーン、音楽ラロ・シフリン、編集ハル・アシュビーと充実のスタッフ。

 まだ純朴さを残したマックィーン、さすがの貫禄を見せるエドワード・G・ロビンソン、フェロモンではち切れそうなアン・マーグレット、いじらしいチューズディ・ウェルド、他にもカール・マルデン、リップ・トーン、ポーカーのプレイヤーの中にはキャブ・キャロウェイの姿も。登場人物たちが皆とても人間臭く描かれていて面白い。最後の勝負が盛り上がるのは、対決する2人はもちろん、取り巻く人々が生き生きと描かれていればこそだ。ゲームの流儀や試合前の準備等の丹念な描写から、キッドとザ・マンそれぞれの生き様が滲み出す。

 余談になるけど、自分は一切ギャンブルをやらない。こうして映画で見る分には楽しいけれど、夢中になり過ぎる自分の性格を分かっているので、危険回避のためギャンブルには近づかないことにしている。またカードゲームやボードゲームはメンバーが感情的になるのを見るのが嫌でやりたくない。本作でも負けが込んでゲームを脱落するメンバーや、負けて逆恨みする奴が描かれていて、そこは嫌で落ち着かない気分になった。

 

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『ブリット』(1968年)

 ピーター・イエーツ監督のシャープな演出が冴える刑事アクションの名作。大昔にTVの吹替洋画劇場で鑑賞して以来、久々の再見。軽快なアクション映画のように記憶していたが、改めて見ると全く印象が違った。台詞も映像も無駄を削ぎ落した渋いハードボイルド・タッチ。重くなり過ぎないのはマックィーンのスマートさ故か。中盤のカーチェイス、終盤の空港での追跡劇、ともにBGMなしで、状況音だけの臨場感溢れる演出で盛り上げている。

 マックィーンは反骨精神に溢れた行動の男を寡黙に演じて実に格好良い。恋人(ジャクリーン・ビセット)に「無感動になっている」と指摘されてのラストシーン、鏡に映った自分を見つめる表情が実に味わい深い。また、本作は脇役の顔つきにとてもリアリティがある。政治家ロバート・ヴォーン、上司サイモン・オークランド、同僚ドン・ゴードン、タクシー運転手ロバート・デュヴァル・・・。

 デザイン=パブロ・フェロ、音楽=ラロ・シフリンによる本作のオープニングは、映画史上最もクールな仕上がりだろう。

 

Bullittlalo Schifrin

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『ハートに火をつけて』(アラン・スミシー)

 

 ジョディ・フォスター最新作『プライベート・ケース』公開を記念して、幻の(?)主演作『ハートに火をつけて』(1989年)が一週間限定で劇場にかかるという。『ハートに火をつけて』はアラン・スミシー名義になっているが、実はかのデニス・ホッパー監督作品だ。早速劇場(ヒューマントラストシネマ有楽町)に足を運んだ。

 

 現代アーティストのアン(ジョディ・フォスター)はマフィアの殺人現場を目撃し、追われる身に。彼女を狙う殺し屋マイロ(デニス・ホッパー)は次第に恋心を抱き、二人は組織に立ち向かいながら逃避行を続けるが・・・というお話。

 

 『ハートに火をつけて』(原題CATCHFIRE)は編集で揉めてアラン・スミシー名義で公開。後にディレクターズ・カット版『BACK TRACK』が公開された(1995年)。はずなんだけど、今回上映されたのはタイトルがBACK TRACK、監督のクレジットはホッパーになっていた。本編は明らかにディレクターズ・カット版じゃなくて、音楽が流れ過ぎて煩わしい初回公開版だったと思う。クレジットだけ差し替えたバージョンが存在しているのかな。謎だ。

 

 それはさておき、公開時以来久しぶりに再見して、やっぱりこれは珍品枠かと。サスペンスともアクションともラブストーリーともつかぬ不思議な雰囲気は観客を戸惑わせること必至。ネットでレビューを拾っても酷評、またはビミョーな感想がほとんどだった。個人的には、現代美術をあちこちに散りばめたり、ヒロインに寄せるフェティッシュな視線などホッパーの趣味性(及び変態性?)が垣間見えて面白い作品だと思う。なによりスクリーンで久しぶりにホッパーの勇姿を拝めて嬉しかった。ディレクターズ・カット版もぜひ再見したいところ。

 

 恋する殺し屋役で挙動不審マックスのデニス・ホッパー。ジョディ・フォスターは『羊たちの沈黙』の前の作品で、行動的な現代アーティスト役がハマっている。2人の力関係があっという間に逆転して、殺し屋が尻に敷かれてしまうのが可笑しい。脇はディーン・ストックウェル、フレッド・ウォード、ジョー・ペシ、ジョン・タトゥーロ、キャスリン・キーナーら面白い顔ぶれ。大ボス役は何とヴィンセント・プライス、チェーンソーを使う現代アーティスト役でボブ・ディランまで登場する。

 

 余談になるが、ジョディ・フォスター最新作『プライベート・ケース』予告編を見たら、フランスで精神科医として働くジョディが事件に巻き込まれるサスペンスのようだ。流暢なフランス語を話すジョディ、マチュー・アマルリックが怪しげな役で出ていたりして、黒沢清のリメイク版『蛇の道』を連想してしまった。

四つの『1984』 

 

 先日ジョージ・オーウェルの『カタロニア讃歌』を読んで感銘を受けた。オーウェルがスペイン内戦に従軍した体験を記録したノンフィクションで、その後『動物農場』や『1984年』執筆へと至る道筋が分かる名著であった。オーウェルのディストピア小説『1984年』(1949年)のヴィジョンは出版から77年を経て今やSFどころか更に生々しさを増しているようだ。映画版ではどう描かれていたか気になってチェックしてみた。

 

 

ルドルフ・カーティア監督『Nineteen Eighty-Four』(1954年) 

 『1984年』最初の映像化作品(BBC制作のTVドラマ)。脚本は『クオーターマス』シリーズで知られるナイジェル・ニール。主演はハマー・プロの怪奇映画でブレイクする少し前のピーター・カッシングだ。

 制作されたのは戦後約10年、まだファシズムの脅威が生々しかった頃であろうと想像する。この題材を映像化せねばという作り手の切迫感が伝わってくるようだ。陰鬱な物語、またイタリアン・ホラー『顔のない殺人鬼』ばりにネズミを使った拷問器具も出てきたりして(使用する場面はさすがにない)、時代やメディアを考えるとかなりチャレンジングな作品だった。実際放映後には議会で取り上げられるほどの反響があったのだという。

 本作は何と言ってもピーター・カッシングが素晴らしかった。葛藤を抱えたまま荒廃した市街を彷徨う姿、逢瀬の場面の幸せそうな表情、拷問によって一気に年老いた鬼気迫る姿・・・。カッシングの佇まいが作品を数段上に引き上げているようだった。共演イヴォンヌ・ミッチェル、アンドレ・モレル、ドナルド・プレザンス。

 



マイケル・アンダーソン監督『1984』(1956年)

 こちらは初の映画化作品。出演はエドモンド・オブライエン、ジャン・スターリング、マイケル・レッドグレイヴ、ドナルド・プレザンスほか。

 1950年代という製作年度が関係しているのか、モノクロで陰影を強調した映像はフィルム・ノワール調で、サスペンスの醸成、全体主義国家の閉塞感の演出に効果を上げている。『都会の牙D.O.A.』『ヒッチハイカー』といったフィルム・ノワール作品で知られるエドモンド・オブライエンが主演しているのも意図的なキャスティングではないか。本作はイギリス映画だが、監視や密告の恐怖には、米ソ冷戦時代の反共イメージとそこから派生し米国で吹き荒れた「赤狩り」のイメージが反映しているのではないかと思う。

 監督は『八十日間世界一周』『オルカ』のマイケル・アンダーソン。後にやはりディストピア映画『2300年未来への旅』(1976年)を手がけている。

 ドナルド・プレザンスが1954年のTV版と同じ役で出演していて、何とも言えぬいじけた感じがこの世界にハマっていた。

 

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マイケル・ラドフォード監督『1984』(1984年)

 こちらはジャストの年代に製作された大作。出演ジョン・ハート、リチャード・バートン、スザンナ・ハミルトン、シリル・キューザック、グレゴール・フィッシャーほか。

 1984年度版は、TV版、1956年版以上に疲労感が滲む異様にダウナーな雰囲気が印象的だ。拷問するリチャード・バートン、責められるジョン・ハートの表情、ユーリズミックスの曲が流れる草原の場面など忘れられない。監督は『イル・ポスティーノ』『ブルー・イグアナの夜』のマイケル・ラドフォード。多彩なジャンルを手掛けている監督で、本作がデビュー作というのが意外なところ。

 それにしてもジョン・ハートは苛め抜かれる役が妙に似合う。『エレファントマン』しかり、『エイリアン』『10番街の殺人』『ミッドナイト・エクスプレス』等々、幸せな役柄があまり思い浮かばない・・・。

 

 

 

 『1984』といえばもう1本、テリー・ギリアム監督『未来世紀ブラジル』(1985年)を忘れてはいけない。件の年の翌年に公開された『未来世紀ブラジル』は、オーウェル原作にブラック・ユーモアを増量しハイテンションで映像化したような作品だ。職場の描写(筒で書類を送る装置!)、ヒロインがドレスアップして現れる場面など直にトレースしている描写もある。

 今回映像化された『1984』を見て、『ブラジル』の特異性を再認識した。それは何かというと、全体主義社会の管理体制の中、反抗を続けた主人公の想像力による勝利(それは悲しい勝利ではあるけれど)を描いているところだ。この視点は他の映像化作品にはなく、ギリアムが延々とこだわり続けているテーマでもある。

 

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読書記録(2026年7月前半)

 7月前半に読んだ本は、8冊。下記の通り絵本を入れてこの冊数。就寝前の時間を短編映画鑑賞に使っていたこともあって、少しペースが落ちてしまった。まだブログに書いていなかった分について、簡単に感想を書き記しておきます。

 

 

たけがみたえ『わたしはかわいいマヌルネコ』(2023年)

 『ダーウィンが来た!』でお馴染み(?)、世界最古の猫「マヌルネコ」の生態を描く絵本。太々しい態度と堂々たる見た目の半面、天敵キツネや大型の鳥に怯える姿や狩りの失敗など、間抜けで愛すべき野生の姿が生き生きと描かれている。

 

 

 

中島空『境界のポラリス』(2021年) 

 中国生まれ日本育ちの女子高生と、夜間中学に通う外国ルーツの仲間たちの交流を描く児童文学。他者への想像力を欠いた大人の醜い言説を目にするにつけ、本書の様な児童文学の重要性を感じる。まだ柔らかな思考を持つ子どもたちにはこのメッセージがきっと伝わるはずだ。

 

 

 

フェルディナント・フォン・シーラッハ『カールの降誕祭』(2012年) 

 『珈琲と煙草』が良かったので、シーラッハ作品をもう一冊。『パン屋の主人』『ザイボルト』『カールの降誕祭』の3篇収録。どれも我らは誰しも薄氷を踏むように生きているのだと突きつけてくる強烈な作品だった。表題作で、主人公が犯行後に残した言葉「アナモルフォーシス」には震えた。

 

 

 

マシュー・シャープ『戦時の愛』(2021年)

 鮮やかな装丁と、「柴田元幸訳にハズレ無し」のセオリーで手に取ってみた。75篇の超短編収録。次々繰り出される奇天烈なシチュエーションを楽しみつつ、要所に漂うLife During Wartimeな空気を感じて心がざわつく。これは読む側のコンディションを鏡のように映し出す世界だと思う。

 

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林明子『はじめてのキャンプ』(1984年) 

 絵本作家の林明子さんがお亡くなりになりました。追悼にこの一冊を。大きな子たちに混じってキャンプに参加するなほちゃんの頑張りには思わず頬が緩む。林作品はかつて娘と一緒に読んだので思い入れもひとしお。なほちゃんの張り切った姿には、幼い頃の娘を思い出して泣ける。

 今回手元にある林作品を読み返して、幼い子供が無心で何かに熱中している表情、失敗をやらかした時の泣き顔がとてもリアルで改めてその観察眼、描写力に感心した。

 手元にある林作品を確認すると、『はじめてのキャンプ』が2016年の第65刷、『おててがでたよ』は2011年の第86刷、『こんとあき』は2017年の第96刷、『おつきさまこんばんは』は2012年の第110刷!どれもロングセラーだ。今はもっと版を重ねているはず。これからもきっと読み継がれていくことだろう。

 

 

 

アンドレーア・ケルバーケル『小さな本の数奇な運命』(2003年)

 舞台はミラノの古書店。棚で買い手を待つ一冊の本が自らの半生を独白する。持ち主たちの思い出、本同士の交流が楽しい。ページをめくる行為をエロティックに描くあたりがイタリア人作家ならではという感じがしたなあ。持ち主の一人が脚本家だったこともあり、『エデンの東』『嘆きの天使』『アマルコルド』等、映画ネタも出てくる。語り手は「自分を書いた作家の本はまだ映画化されたことが無い」とこぼすのだ。

 

 

 

ジョージ・オーウェル『カタロニア讃歌』(1938年)

 『1984』『動物農場』のオーウェルがスペイン内戦に義勇兵として参加した体験を記録したノンフィクション。政治の欺瞞、戦場のリアルに打ちのめされたオーウェルが、やがて『動物農場』や『1984年』執筆へと至る道筋が痛いほど伝わってくる。

 

 

『トイ・ストーリー5』(アンドリュー・スタントン、マッケナ・ハリス)

 

 妻子と、大人気シリーズ最新作『トイ・ストーリー5』を鑑賞。監督アンドリュー・スタントン、マッケナ・ハリス。TOHOシネマズ市川にて。

 

 前作『4』は傑作『3』の先を描こうという意欲作で、子供に遊んでもらうことを最上の喜びとしていたおもちゃたちがそれぞれの進路を選択する姿が描かれていた。最新作『5』の主人公はカウガール人形のジェシーと愛馬ブルズアイ。持ち主のボニーになかなか友達が出来ないのを見かねたジェシーが奮闘する。そこに電子タブレット「リリーパッド」が介入してきて、ジェシーが自分の存在意義に悩む姿が描かれる。

 

 これまでのシリーズと違うのは、人間サイド(ボニー)の物語が大きなウエイトを占めていること。内気でなかなか友達が出来ないボニーの悩み、タブレットを使って新しいお友達ができたと思いきやSNS上でいじめを受けたり、といった生々しいエピソードが描かれる。(妻は「最近のYA(ヤング・アダルト小説)や課題図書みたい」だと言ってた)ドラマの力点は明らかに人間の方にあって、故におもちゃたちの奮闘も何だか影が薄く感じられてしまった。これまでの主人公ウッディやバズが脇に退いていて、レギュラーキャラクターたちにもあまり見せ場がないせいもあるだろうか。

 

 妻は『4』に否定的で、本作も途中でダレたと辛口の感想。妻が『4』を嫌っていたポイントは「おもちゃが人間に干渉するのはルール違反ではないか」「そもそもの設定がずれてるのじゃないか」ということだった。そんな意味では本作も『4』の比じゃないくらい干渉しまくりで、さすがにやり過ぎという気はしたなあ。旧来のおもちゃとデジタルおもちゃの対立と和解についてもいささか消化不良のように感じられた。

 

 と、否定的なことばかり書いてしまったが、個人的には『4』も好きだったし、本作も十分楽しかった。第1作でバズが自分が大量生産品であることに気が付く場面がとても好きなのだけど、本作ではその設定を実に上手く展開させていて面白い。一方ヴィンテージもののウッディは「おじいちゃん」呼ばわりされ、ボディの劣化が「老化」として描かれていて何とも物哀しかった。塗装が剥げているギャグはエンディングでちゃんとフォローされていてホッとしましたよ。「子供の想像力による遊び」や「読み聞かせをする親」といった描写をきちんと押さえているのも好印象。そしてクライマックスは馬の疾走だ。活劇の基本中の基本、それがアニメーションならではの伸びやかなタッチで再現されていて嬉しかった。

 

 カラフルなおもちゃたちがわちゃわちゃしているだけで子供たちは楽しめるのかもしれないが、『4』も本作も実際の対象は大人向けという印象だ。変化していく子供たちとどう接するのか、新しいメディアとどのようにつきあうべきか等々、テーマは色々盛り込まれている。それはともかく、一緒に見た娘はそれなりに楽しんでいたみたいで良かった。