Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

ビリー・ワイルダーミニ特集(その2)

 ワイルダーのミニ特集の続きです。

 

 

麗しのサブリナ』(1954年)

 主演オードリー・ヘプバーン。実はヘプバーンって全然ピンと来なくて、今回が初鑑賞。大富豪の息子たち(ハンフリー・ボガートウィリアム・ホールデン)と、お付きの運転手の娘サブリナ(ヘプバーン)。身分違いの恋の顛末を描いたロマンティック・コメディ。実に真っ当なラブコメで、ワイルダーらしい悪ふざけは割れたグラスでお尻を怪我するギャグくらいか。

 ヘプバーンのお相手はハンフリー・ボガートウィリアム・ホールデンのおじさん2人。ボギーは「恋に目覚める仕事人間」という役柄だけど、ちょっと重すぎる気がしたなあ。当時ヘプバーン25歳、ボギー55歳と歳の差も大きい。怖い顔で「家族だから大丈夫、同じだろう」としつこく言うのには笑ってしまったが。

 

 

 

『七年目の浮気』(1955年)

 マリリン・モンローの白いスカートふわりが有名な作品。大昔にTVの吹替洋画劇場で見て以来、久々の再見。妻子を避暑地のバカンスに送り出し久々の独身状態を謳歌する中年男(トム・イーウェル)が、隣人の美女と大騒ぎを繰り広げる。モンローの見事なコメディエンヌぶりを堪能できる。「私色々持ってるけど、想像力だけは無いの」ってのには笑った。延々とひとりノリツッコミを続けるトム・イーウェルはウディ・アレンの原型のようだ。

 DVD特典映像のメイキングによると、本作はヘイズ・オフィスの介入により際どい台詞が大分カットされているとの事。そのせいかワイルダーにしてはいまひとつ毒気と切れ味に欠ける。ワイルダーの作品というよりもモンローの作品という印象だ。モンローは登場する度に過剰なオーラを放ちまくって場面をさらう。

 

 

 

アパートの鍵貸します』(1960年)

 これまた大昔にTVの吹替洋画劇場で見て以来、久々の再見。サラリーマンが出世のため上司の情事にアパートの部屋を提供する、というかなり生臭いシチュエーションを、ユーモラスに(でも毒気は失わず)描くワイルダー匠の話芸を堪能。割れた手鏡、テニスラケット等、小道具も印象的。パワハラ、セクハラやりたい放題の子供っぽい上司どもにはさすがに時代を感じる。

 主演ジャック・レモンシャーリー・マクレーン。いい気になって浮かれ騒ぎ、上司や彼女に裏切られてしょんぼり落ち込む姿の味わい深さは小市民系俳優の代表格ジャック・レモンの真骨頂。ショートカットのシャーリー・マクレーンが初々しくて可愛い。幕切れが最高に良い。

 

 

 

『恋人よ帰れ! 我が胸に』(1966年)

 名コンビ、ジャック・レモンウォルター・マッソーの初共演作。フットボール中継中、選手のタックルを受けて病院送りとなったTVカメラマン(ジャック・レモン)。義兄の弁護士(ウォルター・マッソー)の入れ知恵で、半身不随を装い巨額の損害賠償をせしめようとするが‥‥。邦題からてっきり恋愛ものだろうと思ってたら、めっちゃ意地の悪い(ハートウォーミングじゃない)コメディだった。自分がワイルダーに期待してるのは正にこういうノリだったので大いに楽しめたけど、この邦題は如何なものかと思うなあ。

 「優しいけど一文の得にもならない男」呼ばわりされるジャック・レモン。本作は実際意地の悪い酷いお話だけど、最後はまさかの爽やかな感動作として着地する。あれはジャック・レモンのキャラクターあってこそだろうと思う。狡猾な弁護士役ウォルター・マッソーの目つきが凄い。あんな目つきの悪い奴は『アメリカン・スプレンダー』のポール・ジアマッティくらいしか思いつかない。

 

 

 

シャーロック・ホームズの冒険』(1970年)

 「ワトスン博士の死後50年を経て発見された非公開の事件簿」という設定で展開するオリジナルストーリー。ミステリー好きのワイルダーらしいひねりの効いた愉快な作品。マニアではないので再現度は分からないけど、ロバート・スティーヴンス(ホームズ)、コリン・ブレイクリー(ワトスン)とも雰囲気は出ていたのではないかな。ホームズの兄役はクリストファー・リーで、さすがの堂々たる風格。タイトルデザインは007シリーズで知られるモーリス・ビンダー。ワトスンがバレリーナと踊り狂うあたりの過剰なノリの良さはワイルダーらしくて楽しいけれど、ネス湖ネッシー騒ぎの後半はネタの割に少々重い雰囲気になる。Wikipediaによると元々4時間の大作だったものを大幅カットしたとのことで、コミカルなエピソードが減ってしまったということらしい。何と勿体ないことを!

 

 

 

 という訳でビリー・ワイルダーミニ特集でした。今回は初期のシリアス作品の面白さが発見でした。特に『地獄の英雄』は大傑作だと思います。全作見ている訳ではないですが、今現在のBEST10を挙げておきます。

 

①『サンセット大通り』(1950年)

②『地獄の英雄』(1951年)

③『情婦』(1958年)

④『お熱いのがお好き』(1959年)

➄『アパートの鍵貸します』(1960年)

⑥『フロント・ページ』(1974年)

⑦『熱砂の秘密』(1943年)

⑧『深夜の告白』(1944年)

⑨『恋人よ帰れ!我が胸に』(1966年)

⑩『悲愁』(1978年)

 

 

ビリー・ワイルダーミニ特集(その1)

 Amazonプライムビリー・ワイルダーの40年代~50年代作品を発見。この辺は未見の作品が多いのでありがたい。嬉しくなったので、ワイルダーのミニ特集をやることにした。

 

『少佐と少女』(1942年)

 本国ドイツで脚本家として活躍していたワイルダーの監督デビューは『Mauvaise Graine』(1934年)。本作はワイルダーアメリカ映画デビュー作。12歳の少女に変装したジンジャー・ロジャースと、それと知らず接する陸軍少佐レイ・ミランドが繰り広げるコメディ。年齢詐称と変装を繰り返すロジャース、馬鹿正直なミランドが何とも可笑しい。他愛無いと言ってしまえばそれまでだけどアメリカ映画らしい陽性の魅力があって楽しい作品だった。

 ジンジャー・ロジャースといえば30年代にフレッド・アステアと共演した華やかなミュージカル作品のイメージだ。こんな馬鹿演技(喫煙を見咎められそうになって煙草を飲み込む場面は爆笑)を披露していたとは知らなかった。ミランドは後のワイルダー『失われた週末』で見せるアル中演技と別人のような溌剌とした姿。

 

 

 

『熱砂の秘密』(1943年)

 第二次大戦下のアフリカ戦線。ドイツ軍が駐留するホテルに給仕として紛れ込んだイギリス兵(フランチョット・トーン)を描くサスペンス・アクション。喜劇を得意とするワイルダーにしては異色のジャンルだと思われるが、これが驚くほど面白かった。冒頭の死者を乗せて砂漠を彷徨う戦車のイメージ。給仕の靴、卓上の調味料入れ、エジプトの地図、認識票、日傘といった印象的な小道具の数々。空襲下での対決(懐中電灯の灯りのみで展開)など、ワイルダーは初期作品から上手かったことを確認。

 ロンメル将軍を貫禄たっぷりに演じているのはかのエリッヒ・フォン・シュトロハイム。ここから後年の『サンセット大通り』出演に繋がるのか。

 本作はまだ戦時中の作品。連合国側のプロパガンダ臭、ドイツ軍の妙にリアルな感じは当時ならでは(ドイツからの亡命者であるワイルダーならでは)なのかな。

 

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皇帝円舞曲』(1948年)

 ウィーンを訪れたアメリカ人セールスマン(ビング・クロスビー)が皇帝に蓄音機を売り込もうと奮闘するミュージカル・コメディ。というより人気歌手主演の「歌謡映画」という感じかなこれは。(歌は主人公しか歌わない)映画のムードもギャグも実にのんびりしていて、とっても牧歌的な映画だった。クロスビーが山歩きしながら歌うとやまびこが帰って来てコーラスになる場面とか面白かったけど。本作の前後が『失われた週末』『異国の出来事』。ワイルダーにしてこの牧歌的な雰囲気は明らか異質だ。人気歌手主演のファミリー向け企画だったのかな。

 

 

 

異国の出来事』(1948年)

 第二次大戦後、連合軍占領下のベルリンが舞台。在独米軍の風紀を視察に訪れた堅物の女性議員ジーン・アーサー、プレイボーイの米軍大尉ジョン・ランド、その愛人マレーネ・デートリッヒが繰り広げるラブ・コメディ。デートリッヒの歌の見せ場もふんだんに盛り込まれ、ワイルダーの演出が冴えた快テンポの作品。なんだけど、戦後間もない翳りが全編を覆う生々しい作品でもある。闇市、クラブのガサ入れ、デートリッヒが語るドイツ人の暮らし、そして荒廃したベルリンの実景が生々しい。ナチを逃れた亡命者であるワイルダーは本作をどんな気持ちで演出してたんだろうなあ。

 

 

 

『地獄の英雄』(1951年)

 己の野心のためには手段を択ばない新聞記者(カーク・ダグラス)と周囲の葛藤を描くハードな作品。エゴ剥き出しの主人公カーク・ダグラスの圧が強くて、ワイルダー作品らしからぬ刺々しい雰囲気だった。

 落盤事故で生き埋めになった男の救出を、事件を盛り上げるために主人公が引き伸ばす。主人公が書いた記事によって事態が肥大化していく過程が恐ろしい。商魂たくましい妻、暗闇で衰弱していく男、記事を読んだ野次馬が集まってお祭り騒ぎになる描写など強烈だった。

 本作は犯罪映画ではないけれど、主人公の抱えた鬱屈、突然噴出する暴力、悲惨な結末など、これはもうノワールの領域だろう。

 

 

 

(この項つづく)

MGG Jazz Buddy 28th LIVE(千葉県教育会館新館大ホール)

 

 先の日曜日(4/7)は、学生時代の友人が参加してるJAZZバンド、MGG Jazz Buddyのライブへ。

 

 MGG Jazz Buddyはカウント・ベイシーをレパートリーとするビッグバンド。仙台に住んでいた2010年、定禅寺JAZZフェスティバルで初めて演奏を拝見して以来のお付き合い。ってもうそんなになるのか。14年前・・・。HPには「2008年に初練習」と記載があったので、バンドは随分息の長い活動を続けているようです。

 

 ライブは二部構成。第一部では『007死ぬのは奴らだ』テーマ曲LIVE AND LET DIEのカバーも披露。007の胡散臭いゴージャス感がビッグバンドのサウンドにジャストフィット。ギターが前面に出て実に格好良かった。ベイシーには『ベイシー・ミーツ・ボンド』(1965年)なる007関連の楽曲をカバーしたアルバムがあり、ポピュラー音楽としての華やかな存在感とスパイ映画の勘所を捉えたアルバムで楽しかった。ちなみに『ベイシー・ミーツ・ボンド』、はジェームズ・ボンドショーン・コネリー時代のアルバムなので、ロジャー・ムーア初登場(1973年)の『死ぬのは奴らだ』は収録されていない。なので今回のLIVE AND LET DIEはオリジナルアレンジなのかな。演奏を聴いていたらモーリス・ビンダーの手によるタイトルバックが脳内に蘇った。ジェーン・シーモアヤフェット・コットー

 

 

 第二部はベイシーの遺作となったアルバム『FANCY PANTS』(1983年)をフル演奏。全体にリラックスしたメロウな楽曲が続く。ファンキーな表題作『Fancy Pants』、メンバーもお気に入りだというアップテンポの『Time Stream』、ラストの『Strike up the Band』には華やかなハッピーエンド感があって盛り上がった。

 

 うーん楽しかったな。生で音楽聴くの久しぶりなんで感激もひとしお。友人Mさんの元気なお姿を拝見できて嬉しかった。楽しいライブありがとうございました!

 

Fancy Pants

Fancy Pants

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 ライブ帰りの電車でアルゼンチンの作家フリオ・コルタサルの短編集を読み始めた。そしたら何と作中にカウント・ベイシーが出てきた!何たるシンクロニシティ

 

 

『ゴースト・トロピック』(バス・ドゥヴォス)

 

 

 バス・ドゥヴォス監督『ゴースト・トロピック』(2019年)鑑賞。イオンシネマ市川妙典にて。XのFFさんがお薦めしていたので気になっていた作品。まったく馴染みのないベルギー映画で、いわゆる単館系の地味な作品だけど、何故か近所のシネコンで上映されていたので、仕事明けに慌てて見に行った。

 

 終電車を逃した掃除婦(サーディア・ベンタイブ)が、徒歩で家路を辿る。深夜のブリュッセルの街。途中で出会う人たちとの交流。夜の空気の匂いまで感じられそうな映像で、主人公の体感する時間の流れがじっくりと描かれている。浮遊感のあるアコースティックな音楽がとても良い。

 

 主人公は時折大胆な行動をとる。昔働いていた家を覗いたり、病院に忍び込んだり、娘を尾行したり。ホラー映画じゃないから何も起きないと分かってはいるけど、ハラハラしながら見てしまった。

 

 最後に主人公の娘が鮮やかな色彩の浜辺で佇む映像が挿入される。『ゴースト・トロピック』(幽霊熱帯?)という奇妙な題名は、主人公の心の中にあるあの浜辺の風景のことなのだろうか。また後半に登場する犬、ロープが解かれて自由になったあの犬はどこを目指すのだろうか。

 

 映画を見ながら、過去にいろんな事情で終電逃して徒歩で帰宅した記憶が蘇った。もちろん映画の主人公と自分(呑気なサラリーマン)では抱えているものが随分違うだろうが、夜の空気や街の灯り、足の疲れ、昼間以上に刺激される好奇心など、そんなあれやこれやは共通しているように感じられた。

 

 エンドクレジットが地味に凝ってた。あの様な見せ方は初めて見たかも。そんなさりげない所も好きだったな。

読書記録

 最近読んだ本で、まだブログに書いていなかったものをまとめて書き記しておきます。

 

『月の部屋で会いましょう』(レイ・ヴクサヴィッチ)

 全く知らない作家だったけど、岸本佐知子さん翻訳本なら間違いないだろうと手に取ってみた。肌が宇宙服になって空へ舞い上がる奇病とか、無茶苦茶シュールな光景をよくある出来事みたいにさらりと描くSF短編集。中では『彗星なし(ノー・コメット)』が好きだった。

 

 

 

『フングリコングリ 図工室のおはなし会』(岡田淳

 娘に薦められた児童文学。放課後の図工室を訪れる虫や動物たちに先生が語る六つの不思議なお話。各話にそれぞれ映像的な仕掛けが施されていて実に面白い。中でもクラス皆が透明人間になって校内で遊びまわるお話が最高だった。

 

 

 

『「映画」をつくった人 世界初の女性映画監督アリス・ギイ』(マーラ・ロックリフ)

 娘と行ったこども図書館で見つけた一冊。近年、映画のパイオニアとして再評価が進んでいるアリス・ギイの半生を題材にした絵本。こんなのが出てるとは思いもよらず感動。各章のタイトルにギイの作品名を引用するオマージュがあったりして凝ってる。

 

 

 

『三つの金の鍵 魔法のプラハ』(ピーター・シス)

 こちらも娘と行ったこども図書館で見つけた一冊。以前展覧会を見て感銘を受けた画家ピーター・シスの絵本で、翻訳は何と柴田元幸さんだ。気球が嵐にさらわれて、魔法と伝説の街・プラハに降り立った少年の冒険を描く。迷宮のような街、秘密の図書館など実にいい雰囲気だ。

 

三つの金の鍵

三つの金の鍵

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『自分の謎』(赤瀬川原平

 学生時代『超芸術トマソン』『路上観察学入門』読んで多大な影響を受けた赤瀬川さん晩年の著書で、「こどもの哲学 大人の絵本」シリーズ第一弾。これは自分と自分じゃないことの境界についての考察。

「鏡の中にいるのは、自分のようだけど、あれは自分ではない人だ。自分はここにしかいない。」(『目の問題』より)

「つまり痛いのが自分で、痛くないのはもう自分ではなくなった物らしい。とすると、いつも痛い側に自分はある。」(『痛い問題』より)

 

 

 

ジョージ・A・ロメロの世界 映画史を変えたゾンビという発明』

 『アミューズメント・パーク』公開時(2021年)に出たロメロ本。多数のロメロ論が掲載されていて、執筆者によって切り口、ジャンル愛、理解度、文体は様々だなと妙に感心してしまった。当たり前だけど。中でも児玉美月さんの『マーティン』論が出色。作品の魅力を余すところ無く伝えて素晴らしい。

 

 

 

『ぼくが映画ファンだった頃』(和田誠

 お馴染み和田誠さんの評論集。過去形のタイトルが気になって手に取ってみた。まえがきによると、もう新作を追いかけて映画館に足繁く通う「映画ファン」ではないけれど、現在もDVDで毎晩1、2本見ている「映画好き」は続けているとの事。そういう区分けなのか。

 三谷幸喜との対談で、ビリー・ワイルダーの映画は「人生の役には立たない」から面白いと述べていたのが面白かった。確かにワイルダーの映画には人生訓とかお説教じみたところないもんね。むしろ「人生の役になんか立ってたまるか」くらいの感じで。

 

 

 

『モダン・ネイチャー デレク・ジャーマンの日記』(1992年)

 映画監督デレク・ジャーマンによる1989年、1990年の日記。日記の大部分を占めるのはガーデニング。困難を極める映画製作。闘病生活。たくさんの死、たくさんの別れ。その中にはマイケル・パウエルの名も(1990.2.19)。バラード『殺す』を読む場面も出て来る(1989.11.24)。

 次々登場する綺羅星のごときアーティストたちには眩暈がしそうだ。ティルダ・スウィントン様は勿論、『遠い声、静かな暮し』のテレンス・デイヴィスも。他にはハワード・ブルックナーティモシー・ダルトンルー・リード、ペットショップボーイズ、ジョン・ギールグッド、ジョン・サヴェージイアン・マッケランマット・ディロン、デイヴィッド・ホックニーアンディ・ウォーホルトニー・リチャードソン、デイヴィッド・ニヴン、ケン・ラッセル、アンソニー・ボルチ、ポール・バーテル、ガス・ヴァン・サントアリス・クーパーピーター・グリーナウェイアンジェイ・ワイダアニー・レノックス・・・。

 印象的だったのは、映画を見ることについての記述。「個人映画」の作り手としての姿勢が伝わってくる。「今の私は友達のためか、もしくはノスタルジーでしか映画館へ足を向けない。作家の人生に基づいた作品でないと見ることができない。演技やカメラワークやあらゆる装置は、そこに自伝的な要素がなければ私にはほとんど楽しみをもたらさないのだ。」

 

 

 

『ほかの惑星への気楽な旅』(テッド・ムーニイ)

 タイトルと表紙で気になって手に取ってみた。本作は河出書房「ストレンジ・フィクション」シリーズの一冊。SF=Science FictionならぬStrange Fictionというわけだ。その名に恥じぬ不思議な小説だった。物凄くざっくり言うと、女性海洋学者、研究対象のイルカ、男性教師の三角関係の物語。かなり奇妙でややこしい小説だけど、映像的な喚起力が豊富でグイグイ読めた。表紙の折り返しの解説にバラード、ディック、バーセルミが引き合いに出されてたけど、世界観の提示と性描写には確かにバラード味を感じた。

「ぼくらは生存者だよ、ベイビー。水泳者であり、生存者だ」

 

 

シドニー・ルメット月間(後半戦)

 

『丘』(1965年)

 第二次大戦中、アフリカの英国陸軍刑務所が舞台。炎天下に過酷な重労働を強いる非情な看守と囚人たちの闘い。戦時下に味方の軍人から苛め抜かれる不条理が迫真の演出で描かれる。タイトルバックで刑務所の様子を一望させる空撮が上手い。本作もまたルメットが得意とする限定空間のディスカッション・ドラマであり、劇伴無しのドライな演出が緊張感を高める。日本版ポスターの惹句は「砂の鎖につながれた野郎共の絶叫!」。映画の雰囲気を上手く伝えている。

 不屈の意志で反抗を続けるショーン・コネリーがいい。黒人兵オシー・デイヴィスは後のブラック・ムービーの重要人物だ。

 

 

『グロリア』(1999年)

 傑作アクションの悪名高いリメイク版。これまで全く見る気がしなかったけどルメット月間につき初鑑賞。うーん、これはやはり企画に無理があると思わざるを得ない。妙にウェットな雰囲気に仕上がっていて「これは違う」感が凄かった。

 ジョージ・C・スコット他共演者の顔つきは悪くないし、ロケーションを生かした生々しい空気感はルメットの得意とするところ。なんだけど、そこまでしてもリメイクの意図が分からない何とも困った作品だった。ハワード・ショアによるエレガントな音楽は良かったけど流れ過ぎか。シャロン・ストーンは健闘していたと思う。冒頭の出所場面ややくざ者をあしらう場面など、ジーナ・ローランズとはまた違った姐御感がある。

 

 

『キングの報酬』(1986年)

 主演リチャード・ギア。選挙を裏で操る選挙参謀のメディア戦略と影響力(原題はそのものズバリPOWER)を描く。非情な政治ドラマとしても、アッパーな仕事人間が改心して原点に立ち戻る人間ドラマとしても中途半端な出来だった。何とも軽い。軽過ぎる。ルメットらしからぬ凡作。

 ここでもまた監視、盗聴、データ改竄が描かれるけれど70年代アメリカ映画の不穏なムードは皆無で薄味。メディアのシステムと影響力を強調するかのような最後の数ショットが一番面白い。しかしそれが主人公の苦い勝利を否定しているようにも見えて、さらに困惑させられた。

 共演ジュリー・クリスティジーン・ハックマンケイト・キャプショー、フリッツ・ウィーヴァー、デンゼル・ワシントンら面白い顔ぶれだが。

 

 

『質屋』(1964年)

 戦時中の忌まわしい体験から人間不信となり心を閉ざした質屋主人を描く重量級のドラマ。NY界隈の生々しいロケーション、男を苛む執拗なフラッシュバック、情け容赦無い人間観察。先に見た『丘』『未知への飛行』そして本作、60年代ルメットの切れ味は凄い。

 主人公の屈折を体現するロッド・スタイガーの名演。終盤自失状態で街を彷徨う場面のよろめくような足取りと髪の乱れ。撮影ボリス・カウフマンジャン・ヴィゴの『操行ゼロ』『アタラント号』撮った人なんだな。音楽はクインシー・ジョーンズ。劇中Soul Bossa Novaが流れる場面あり。

 

 

『旅立ちの時』(1988年)

 テロリストとして指名手配されている両親と逃亡生活を送る少年の成長を描く。意外や爽やかな青春映画だった。リヴァー・フェニックスが何とも初々しい。個人的には、過去の事件を清算できないまま逃亡生活を送る両親の葛藤に思い入れて見てしまった。

 これが60年代に過激な反戦運動をしていた両親の青春を描いたならば、それこそアメリカン・ニューシネマだ。体制への反抗、ブルジョワの両親への反抗、そして挫折と逃亡。本作はあの両親が己の轍を踏まず、自由を求める息子と向き合い解放する姿に感動を覚えた。J・テイラーの曲も良かったな。

 暴走する昔の仲間を演じるのはL・M・キット・カーソン。『ブレスレス』『悪魔のいけにえ2』他で知られる脚本家。元奥さんはカレン・ブラック、息子ハンターは『パリ、テキサス』の名子役。黒沢清のサンダンス研修日記にも登場、「ゴダールフーパーを繋ぐ面白い人物に出会った」と記されていた。

 

 

狼たちの午後』(1975年)

 早稲田松竹にて鑑賞。中学生の頃、TVの吹替洋画劇場で見て以来の再見。

 真夏のブルックリンで発生した奇妙な銀行強盗。間抜けな素人犯罪の顛末を迫真のタッチで再現した傑作。空間丸ごと捉えたような臨場感たっぷりの演出が素晴らしい。本編は劇伴なし、終盤は空港の状況音だけという潔さに痺れる。

 記憶ではアル・パチーノの独演会という印象だったけど、改めて見ると人質の銀行員、警官、野次馬に至るまで生々しい存在感を放っていた。ジョン・カザールは言動のズレっぶりからこれまでの不幸な人生を垣間見せる名演。切なかった。チャールズ・ダーニングクリス・サランドンも素晴らしい。

 

 

その土曜日、7時58分』(2007年)

 シドニー・ルメット月間の締めは、遺作となったサスペンス『その土曜日、7時58分』。金銭的に追い詰められた兄弟(フィリップ・シーモア・ホフマンイーサン・ホーク)が、両親が経営する宝石店強盗を企てる。簡単に片付く筈だったが、事態は最悪の方向に転がり出す。常に間違った選択をし続ける登場人物たちの哀れ。全く救いの無い展開に背筋が凍る暗黒の傑作だった。

 本作は父親との軋轢に耐えかねた長男が次男道連れにして自爆する物語だ。自分は何とか乗り越えられたけど、主人公の屈折は理解できる部分もあって胸が痛んだ。兄フィリップ・シーモア・ホフマン、弟イーサン・ホーク、妻マリサ・トメイ、父アルバート・フィニーら名優たちの激突が大きな見もの。

 皮肉な原題BEFORE THE DEVIL KNOWS YOU'RE DEAD、衝撃的なラストも深い余韻を残す。それにしても恐ろしい映画だった。

 

 これにてシドニー・ルメット月間終了。頑張って19本鑑賞。前に見ている作品合わせてもまだ22本で、フィルモグラフィーの半分くらいか。未見で特に気になるのはショーン・コネリー主演『怒りの刑事』(1972年)。60年代の硬質な演出から70年代のオープンな作風への継ぎ目に位置する作品ではないかと想像している。

 ルメットの映画では価値観の違う者たちが激しくぶつかり合う。印象的なのは、登場人物たちが話し合うのを決して諦めない事だ。そこにアメリカ映画ならではの良さを感じてとても好きだった。遺作となった『その土曜日、7時58分』は、向き合って話し合う事が出来ず、短絡的な行動に終始する登場人物たちが地獄に落ちる話だったが。

 

 これまで見た中でベスト10を記載しておきます。60年代の作品はソフト化も配信も無いのが多いのが残念。今後チェック出来たら順位が変わる可能性は大いにある。

 

 

シドニー・ルメット BEST10

 

①『十二人の怒れる男

②『質屋』

③『未知への飛行』

④『丘』

➄『評決』

⑥『狼たちの午後

⑦『プリンス・オブ・シティ

⑧『セルピコ

⑨『旅立ちの時』

⑩『その土曜日、7時58分

『無声映画のシーン』『黄色い雨』(フリオ・リャマサーレス)

 

 2017年から2020年にかけての約4年間ほどだろうか、全く読書が出来ない時期があった。仕事が忙しくて時間が無いのに加えて、何故か小説を読む意欲が湧かず、本を開いてみても集中力が無くて物語に没入する事が出来ないのだった。娘が小学校に上がり、毎週図書館に連れて行くようになって、一緒に児童書など読むうち次第に小説を読む意欲が戻って来た。その後はペースを取り戻し、現在は週一冊くらいのスピードで順調に読む進むことが出来ている。毎週日曜日には娘を習い事に送り届けて、習い事が終わるまでの待機時間2時間を喫茶店で読書の時間に当てている。後は通勤電車と、寝る前の30分ほど。通勤用の文庫本、自宅で読む小説と映画関連の書籍。常に三冊を同時進行で読んでいる。

 

 それはさておき。

 

 スペインの作家フリオ・リャマサーレス無声映画のシーン』(1994年)読了。作者について全く予備知識は無かったが、題名と表紙が気に入ったので手に取ってみた。母親が死ぬまで大切にしまい込んでいた30枚の写真。語り手は写真に切り取られた情景から、炭鉱町で過ごした少年時代を回想する。自伝小説風の連作短編集だ。

 舞台はスペインの炭鉱町。炭鉱町といえばジョン・フォードわが谷は緑なりき』、ジョー・ジョンストン遠い空の向こうに』等を思い出す。それらの映画がイメージの助けになった。もっとも『無声映画のシーン』で描かれる炭鉱町はもっと危険で荒々しい。地下坑道の爆発や陥没、若い頃から地下で労働に従事して肺をやられた男たち。そんな粗暴で過酷な炭鉱町の暮らしが生き生きと描かれる。町には娯楽が少なく、月一回の給料日前後だけは活気づく。町に一軒の映画館。コンポステーラの楽団で盛り上がるお祭。写真に焼き付けられた町の人々、子どもたちの姿・・・。読みながらこちらも追憶に誘われて、自分の家族や少年時代をあれこれ思い出し、スペインの炭鉱町と日本の北国が地続きになったような不思議な感慨に捉われた。

 

「写真がある限り彼らは生き続けていくだろう。なぜなら、写真は星のようなもので、たとえ彼らが何世紀も前に死んだとしても、長い間輝き続けるからだ。」

 

 『無声映画のシーン』がとても好きだったので、続けて長編『黄色い雨』(1988年)も読んでみた。スペイン山地の廃村で最後の住人となった男が死を迎えるまでを描く。一種のサバイバル小説であり、死にゆく男の内面を描いた詩的な小説でもある。厳しい自然の中で朽ちていく村。名前の無い雌犬の哀れ。妻子の墓の前にやがて自分が横たわるであろう墓穴を掘る男。「黄色い雨」=死の影に色付いた村のイメージ。毒蛇。ロープ。家族の亡霊・・・。自分は両親を残し故郷を離れた側なので、辛い物語でもあった。

 

「自分もすでに死んでいて、その後に経験したことはすべて沈黙の中に消えてゆく記憶の、最後の木霊でしかないのだという、漠然としたとらえどころのない思いを抱いていた。」

 

 訳者あとがきによると、リャマサーレスは映画の脚本も手掛けているようだ。他の作品と併せてチェックしていきたいと思う。