『いろいろな幽霊』が面白かったので、ケヴィン・ブロックマイヤーの長編作品『終わりの街の終わり』(2006年)を手に取ってみた。死者が暮らす街を舞台にしたファンタジー。
人は2度死ぬ(肉体の死と、忘れ去られることでの死)という考え方は、ディズニー/ピクサーのアニメーション『リメンバー・ミー』(2017年)で印象的に描かれていた。本作もまた、「記憶されることがその人の存在証明となるという」という考え方が面白い形で描かれている。
舞台は死者が暮らす「終わりの街」。亡くなった人々はその街に転生(本書では「横断」という言葉で表現されている)する。どうやらその街は、死者が現世で生者に記憶されている間だけ存在できる空間のようだ。現世にその人物を記憶する人がいなくなった時に、死者はその街から消えてしまう。
物語が進むと、その街に暮らす人々が激減してゆく。どうやら現世でパンデミックが起こり、人類が滅亡の道を辿っているらしいのだ。現世に死者を記憶する人がいなくなった時には、終わりの街もまた終わりを迎えるのだ。これは結構な大技で、この様な形で世界の終わりを描いた小説は初めて読んだ気がする。
終わりの街に暮らす人々の物語と並行して、南極にひとり取り残された女性ローラ・バードの決死のサバイバルが描かれる。終わりの街に暮らすローラに繋がりのある様々な人々の運命を、おそらく現世でただ一人の生存者ローラの記憶が握っているのだ。
背景にはグローバル企業(コカ・コーラが実名で出てくる)への批判が盛り込まれていたり、パンデミックによる世界の終わりといった非常に生々しい部分もあるが、説教臭さや教訓めいた鬱陶しさはそれ程感じなかった。好みから言うと、全体にエンタメ過ぎる(引っかかりがなく読めて面白過ぎる)と思いつつ、分かったような解決やオチを着けないのはとても好ましかった。
作中に映画に関する面白い描写がある。盲目の登場人物が映画館で映画を見ることについて語る場面。
「この映画館は古いサイレント映画しか上映せず、それで切符売りはいつも彼に切符を売ってくれない。とはいえ盲目の男は、自分が楽しむのは映画そのものではなく、冷えた空気と映写されている映画の静かな明滅であり、肩の上に広がる空間感覚、空ができあがりそうなくらいの空間なのだと千回も説明した。彼の想像では、そこには雲と風と独自の気象状況がある。」
余談になるが、主人公ローラ・バードの名前から、『断絶』『コックファイター』等の女優Laurie Birdを連想して勝手に泣いてしまった。関係ないだろうと思いつつ。関係ないかな。関係あるかも。
という訳で、2025年に読んだ本はこれで168冊となりました。年末年始のお休みには長くて没頭できる小説を読みたくて、久々ピンチョンにトライするつもり。
それでは皆様、良いお年を。

