Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

『エクソシスト2』(ジョン・ブアマン)

 

 

 先のエンニオ・モリコーネ特選上映(『ラ・カリファ』『死刑台のメロディ』)がとても良かったので、5月はお家でモリコーネ特集実施中。昨夜はAmazonプライムにてジョン・ブアマン監督『エクソシスト2』(1977年)鑑賞。あんまり語られることのない不幸な続編作品なんだけど、異才ブアマンの意欲的な演出とモリコーネのハイテンションなスコアが見事に融合した傑作だと思っている。出演リチャード・バートンリンダ・ブレア、ルイーズ・フレッチャー、キティ・ウィンネッド・ビーティジェームズ・アール・ジョーンズほか。

 

 久々の再見となった『エクソシスト2』、無茶苦茶面白かった‥‥。正直あれこれ盛り込み過ぎで飛躍が過ぎる支離滅裂な展開で、観客は置いてけぼりを喰って途方に暮れてしまう。しかし映像に強烈な吸引力が合って、混沌と合間の静けさに曰く言い難い魅力がある。強烈な陽光に照らされた(セット臭い)アフリカ、繰り返し登場するイナゴ飛翔のイメージ、診療所の内装、そして催眠実験の危険な光の明滅!

 

 音楽エンニオ・モリコーネ。コーラス(絶叫)を多用したお得意なアレンジが冴える不穏なテーマ曲他、本作の混沌を美に変える大きな推進力はモリコーネの音楽だ。ホラージャンルのモリコーネは、音楽は最高だけど肝心の映画がイマイチというパターンが多い。本作は映像もテンションが高くて音楽とのマッチングが素晴らしい。ところでエンディングにはプログレ風のハードな名曲「Magic and Ecstasy」が流れた記憶があるのだが、美しい「リーガンのテーマ」でしっとりと締め括られていた。単なる記憶違いか、バージョン違いがあるのか。

 

 主演リチャード・バートンの熱演、少女から大人に変わる時期のリンダ・ブレアが放つ独特のオーラ。リーガンの世話役を演じているのは『哀しみの街かど』のキティ・ウィン。ここでもまた幸薄い役柄で気の毒だったなあ。

『異人たち』(アンドリュー・ヘイ)

 

 アンドリュー・ヘイ監督『異人たち』鑑賞。TOHOシネマズ市川コルトンプラザにて。

 山田太一の小説『異人たちとの夏』をイギリスに舞台を移し再映画化。孤独を抱えて生きる中年男が死者との関わりを経て再生に踏み出すファンタジーだ。本作は正に今の自分が見たいサイズ感の作品だった。選曲や台詞のひとつひとつにパーソナルな手触りがあって、実に味わい深い。All of Us Strangersという題名もいいな。

 

 主人公は少年時代に交通事故で両親を亡くし、孤独な人生を歩んできた脚本家アダム(アンドリュー・スコット)。アダムが他界したはずの両親と出会い安らぎの時間を過ごすエピソードと、タワーマンションの謎めいた住人ハリー(ポール・メスカル)と関係を結ぶエピソードが交互に展開していく。粗筋は大林宣彦監督『異人たちとの夏』とほぼ同じだが、画面から受ける印象は大分異なっている。本作の方がより孤独で寂しい。『異人たちとの夏』は主人公(風間杜夫)の仕事仲間との交流が描かれていたが、本作にはアダムと両親、アダムとハリーだけしか登場しない。

 

 大林版の過剰な演出に比べると静かなトーンではあるけれど、こちらはこちらでやや説明過多というか、登場人物たちが饒舌過ぎるなとは思う。台詞が半分でも彼らの痛みは充分伝わったような気がする。でも良い映画だった。死者同士が一瞬窓越しに見つめ合う場面など怪談話らしい怖さもある。

 

 原作は未読。大林版、ヘイ版、ともに脚色箇所がとても気になるので、ぜひ読んでみたいと思う。

 

 

 

 

追悼ロジャー・コーマン

 

 アメリカの映画製作者・映画監督のロジャー・コーマンが亡くなりました。享年98歳。コーマンは数多くの低予算映画を世に送り出した「B級映画の帝王」であり、徹底した現場主義で新人にチャンスを与え(搾取しながら)、スコセッシ、コッポラからデミに至る多くの監督を育てニュー・ハリウッドの礎を築いた人物。

 

 コーマンは監督としても端正な演出力をもって数多の名作を生み出している。今で言うシネフィルな訳でもなく、撮影所の下積みもなく、自ら失敗を重ねて進化していった。ラス・メイヤー同様に質と商売、己の創作意欲を両立させたアメリカン・インディペンデントの偉大なる先達でもあるのだ。正に真に偉大な「映画人」。R.I.P.

 

 

ロジャー・コーマンBest10>

 

『侵入者』

『血まみれギャング・ママ』

『血のバケツ』 

『赤死病の仮面』

『恐怖の振子』

『白昼の幻想』

『ワイルド・エンジェル』

『Gas! 』

X線の眼を持つ男』

フランケンシュタイン/禁断の時空』

 

 

『ラ・カリファ』『死刑台のメロディ』

ラ・カリファ

ラ・カリファ

  • EMI General Music srl
Amazon

 

 新宿武蔵野館にて「エンニオ・モリコーネ特選上映」と題し、70年代のイタリア映画『ラ・カリファ』『死刑台のメロディ』を上映。モリコーネは我が最愛のコンポーザーであり、どちらも未見の作品だったので早速劇場に足を運んだ。

 

 まずはロミー・シュナイダー主演、アルベルト・ベヴィラクア監督『ラ・カリファ』(1970年)。激化する労働争議を背景に、ストライキのリーダー(ロミー・シュナイダー)と工場長(ウーゴ・トニャッツィ)の許されぬ恋愛を描くメロドラマ。

 映画は夫の亡骸を前に呆然と佇むシュナイダーで始まる。愛する者の血で汚れた手。モリコーネの美メロが高鳴り、冒頭から映画のイメージを鮮烈に印象付ける。ストの闘士、若い愛人を翻弄する年上の女、工場長との逢瀬に燃える情熱的な女‥‥。モリコーネの甘美なメロデイをバックに、様々な表情を見せるシュナイダーが実に魅力的だった。

 基本的には悲恋メロドラマなのだが、ストの継続を巡る労働者の内紛や政界やマフィアとの癒着が断ち切れない経営者たちの思惑などが妙に詳しく描かれているのが異色だった。

 

 続いてジュリアーノ・モンタルド監督『死刑台のメロディ』(1971年)。1920年代のアメリカで起きた冤罪事件「サッコ=ヴァンゼッティ事件」を迫真のタッチで映像化した社会派ドラマ。正直もっと古臭い映画を予想していたが、移民への差別、アナーキストたちの生き様が真摯に描かれて手応え十分。強盗事件の真犯人捜査には探偵映画的な面白さもたっぷり。主演ヴォロンテ、クッチョーラの他、弁護士ミロ・オーシャ、シリル・キューザックらキャストの顔つきが隅々まで実に味わい深い。

 メインの法廷場面は劇伴なし。しかし要所でモリコーネジョーン・バエズの名曲が高らかに鳴り響き、画面を熱く盛り上げる。

 

 

 『ラ・カリファ』と『死刑台のメロディ』はともに70年代初頭のイタリア映画。音楽の使い方は実に対象的で、『ラ・カリファ』は全編に渡りモリコーネの甘美な音楽が鳴り響くのに対し、『死刑台のメロディ』はほぼ劇伴なしのストイックさ。そんな違いも興味深かった。「エンニオ・モリコーネ特選上映」第二弾やらないかな。次はぜひ『ある夕食のテーブル』『女にシッポがあった時』でお願いしたい。

 

 

 

『奪われた家/天国の扉 動物寓話集』『秘密の武器』『すべての火は火』(フリオ・コルタサル)

 今年はこれまで触れてこなかった作家をなるべくたくさん読んでみようと思い、図書館でほとんどジャケ買いならぬ表紙借りを繰り返している。これまでジェフリー・フォード、フリオ・リャマサーレスら手応えのある作家に巡り合うことができた。今回はアルゼンチンの幻想文学作家フリオ・コルタサルにトライ。

 

 

『奪われた家/天国の扉 動物寓話集』(1951年)

 政治的寓話『奪われた家』から、怪しげな盛り場で死んだ女の幻を追う『天国の扉』まで、一口に幻想文学といっても作風はバラエティに富んでいる。中でも印象的だったのは、喉の奥から小ウサギを産む奇怪な現象に悩まされる『パリへ発った婦人への手紙』、謎の動物マンクスピアの世話をする『偏頭痛』。『偏頭痛』の妙な熱っぽさには危険な手触りがある。てかマンクスピアって何なんだ。

 

 

 

『秘密の武器』(1959年)

 『奪われた家/天国の扉 動物寓話集』が面白かったのでコルタサルについて調べたら、何とアントニオーニ『欲望』の原作者だった!これはぜひ読んでみたいと思い、『欲望』の原作『悪魔の涎』を収録した短編集『秘密の武器』を手に取ってみた。

 『悪魔の涎』、チャーリー・パーカーをモデルとしたJAZZ小説『追い求める男』、ニューロティック・スリラー風の『秘密の武器』他5篇。

 映画『欲望』の原作『悪魔の涎』は、カメラマンが公園で奇妙なカップルを隠し撮りし、引き伸ばした写真から事件を幻視する。映画の前半部分に当たる内容だった。スウィンギング・ロンドンを舞台にアルゼンチンの幻想文学の映像化を試みるアントニオーニの異能を再認識。

 

 

 

『すべての火は火』(1966年) 

 Xでコルタサルについてポストしたら、FFさんがゴダール『ウィークエンド』の原作があるよと教えてくれた。アントニオーニの次はゴダールかと眩暈を覚えつつ、その『南部高速道路』を収録した短編集『すべての火は火』を手に取ってみた。

 連続絞殺魔が徘徊するパリを描く『もう一つの空』、ギリシャの孤島で生死が鮮やかに交錯する『正午の島』他8篇。

 『南部高速道路』は、高速道路に空前の大渋滞が発生、渋滞は一向に解消されぬまま時が過ぎ、季節が巡る‥‥というお話。ゴダール『ウィークエンド』の原作(ネタ元?)と言われると成程なと。渋滞の中からコミューンが形成されていったり、暴力沙汰に発展するあたり確かに『ウィークエンド』っぽい。本作は1966年作、『ウィークエンド』が1967年。ゴダール若松孝二的めざとさよ。さらにこれは交通渋滞SFとしてバラードの先駆ではないか。本作が70年代に入りバラードのテクノロジー三部作や山野浩一『メシメリ街道』に繋がるのかと思うと興奮を禁じ得ない。

 

 

ビリー・ワイルダーミニ特集(その2)

 ワイルダーのミニ特集の続きです。

 

 

麗しのサブリナ』(1954年)

 主演オードリー・ヘプバーン。実はヘプバーンって全然ピンと来なくて、今回が初鑑賞。大富豪の息子たち(ハンフリー・ボガートウィリアム・ホールデン)と、お付きの運転手の娘サブリナ(ヘプバーン)。身分違いの恋の顛末を描いたロマンティック・コメディ。実に真っ当なラブコメで、ワイルダーらしい悪ふざけは割れたグラスでお尻を怪我するギャグくらいか。

 ヘプバーンのお相手はハンフリー・ボガートウィリアム・ホールデンのおじさん2人。ボギーは「恋に目覚める仕事人間」という役柄だけど、ちょっと重すぎる気がしたなあ。当時ヘプバーン25歳、ボギー55歳と歳の差も大きい。怖い顔で「家族だから大丈夫、同じだろう」としつこく言うのには笑ってしまったが。

 

 

 

『七年目の浮気』(1955年)

 マリリン・モンローの白いスカートふわりが有名な作品。大昔にTVの吹替洋画劇場で見て以来、久々の再見。妻子を避暑地のバカンスに送り出し久々の独身状態を謳歌する中年男(トム・イーウェル)が、隣人の美女と大騒ぎを繰り広げる。モンローの見事なコメディエンヌぶりを堪能できる。「私色々持ってるけど、想像力だけは無いの」ってのには笑った。延々とひとりノリツッコミを続けるトム・イーウェルはウディ・アレンの原型のようだ。

 DVD特典映像のメイキングによると、本作はヘイズ・オフィスの介入により際どい台詞が大分カットされているとの事。そのせいかワイルダーにしてはいまひとつ毒気と切れ味に欠ける。ワイルダーの作品というよりもモンローの作品という印象だ。モンローは登場する度に過剰なオーラを放ちまくって場面をさらう。

 

 

 

アパートの鍵貸します』(1960年)

 これまた大昔にTVの吹替洋画劇場で見て以来、久々の再見。サラリーマンが出世のため上司の情事にアパートの部屋を提供する、というかなり生臭いシチュエーションを、ユーモラスに(でも毒気は失わず)描くワイルダー匠の話芸を堪能。割れた手鏡、テニスラケット等、小道具も印象的。パワハラ、セクハラやりたい放題の子供っぽい上司どもにはさすがに時代を感じる。

 主演ジャック・レモンシャーリー・マクレーン。いい気になって浮かれ騒ぎ、上司や彼女に裏切られてしょんぼり落ち込む姿の味わい深さは小市民系俳優の代表格ジャック・レモンの真骨頂。ショートカットのシャーリー・マクレーンが初々しくて可愛い。幕切れが最高に良い。

 

 

 

『恋人よ帰れ! 我が胸に』(1966年)

 名コンビ、ジャック・レモンウォルター・マッソーの初共演作。フットボール中継中、選手のタックルを受けて病院送りとなったTVカメラマン(ジャック・レモン)。義兄の弁護士(ウォルター・マッソー)の入れ知恵で、半身不随を装い巨額の損害賠償をせしめようとするが‥‥。邦題からてっきり恋愛ものだろうと思ってたら、めっちゃ意地の悪い(ハートウォーミングじゃない)コメディだった。自分がワイルダーに期待してるのは正にこういうノリだったので大いに楽しめたけど、この邦題は如何なものかと思うなあ。

 「優しいけど一文の得にもならない男」呼ばわりされるジャック・レモン。本作は実際意地の悪い酷いお話だけど、最後はまさかの爽やかな感動作として着地する。あれはジャック・レモンのキャラクターあってこそだろうと思う。狡猾な弁護士役ウォルター・マッソーの目つきが凄い。あんな目つきの悪い奴は『アメリカン・スプレンダー』のポール・ジアマッティくらいしか思いつかない。

 

 

 

シャーロック・ホームズの冒険』(1970年)

 「ワトスン博士の死後50年を経て発見された非公開の事件簿」という設定で展開するオリジナルストーリー。ミステリー好きのワイルダーらしいひねりの効いた愉快な作品。マニアではないので再現度は分からないけど、ロバート・スティーヴンス(ホームズ)、コリン・ブレイクリー(ワトスン)とも雰囲気は出ていたのではないかな。ホームズの兄役はクリストファー・リーで、さすがの堂々たる風格。タイトルデザインは007シリーズで知られるモーリス・ビンダー。ワトスンがバレリーナと踊り狂うあたりの過剰なノリの良さはワイルダーらしくて楽しいけれど、ネス湖ネッシー騒ぎの後半はネタの割に少々重い雰囲気になる。Wikipediaによると元々4時間の大作だったものを大幅カットしたとのことで、コミカルなエピソードが減ってしまったということらしい。何と勿体ないことを!

 

 

 

 という訳でビリー・ワイルダーミニ特集でした。今回は初期のシリアス作品の面白さが発見でした。特に『地獄の英雄』は大傑作だと思います。全作見ている訳ではないですが、今現在のBEST10を挙げておきます。

 

①『サンセット大通り』(1950年)

②『地獄の英雄』(1951年)

③『情婦』(1958年)

④『お熱いのがお好き』(1959年)

➄『アパートの鍵貸します』(1960年)

⑥『フロント・ページ』(1974年)

⑦『熱砂の秘密』(1943年)

⑧『深夜の告白』(1944年)

⑨『恋人よ帰れ!我が胸に』(1966年)

⑩『悲愁』(1978年)

 

 

ビリー・ワイルダーミニ特集(その1)

 Amazonプライムビリー・ワイルダーの40年代~50年代作品を発見。この辺は未見の作品が多いのでありがたい。嬉しくなったので、ワイルダーのミニ特集をやることにした。

 

『少佐と少女』(1942年)

 本国ドイツで脚本家として活躍していたワイルダーの監督デビューは『Mauvaise Graine』(1934年)。本作はワイルダーアメリカ映画デビュー作。12歳の少女に変装したジンジャー・ロジャースと、それと知らず接する陸軍少佐レイ・ミランドが繰り広げるコメディ。年齢詐称と変装を繰り返すロジャース、馬鹿正直なミランドが何とも可笑しい。他愛無いと言ってしまえばそれまでだけどアメリカ映画らしい陽性の魅力があって楽しい作品だった。

 ジンジャー・ロジャースといえば30年代にフレッド・アステアと共演した華やかなミュージカル作品のイメージだ。こんな馬鹿演技(喫煙を見咎められそうになって煙草を飲み込む場面は爆笑)を披露していたとは知らなかった。ミランドは後のワイルダー『失われた週末』で見せるアル中演技と別人のような溌剌とした姿。

 

 

 

『熱砂の秘密』(1943年)

 第二次大戦下のアフリカ戦線。ドイツ軍が駐留するホテルに給仕として紛れ込んだイギリス兵(フランチョット・トーン)を描くサスペンス・アクション。喜劇を得意とするワイルダーにしては異色のジャンルだと思われるが、これが驚くほど面白かった。冒頭の死者を乗せて砂漠を彷徨う戦車のイメージ。給仕の靴、卓上の調味料入れ、エジプトの地図、認識票、日傘といった印象的な小道具の数々。空襲下での対決(懐中電灯の灯りのみで展開)など、ワイルダーは初期作品から上手かったことを確認。

 ロンメル将軍を貫禄たっぷりに演じているのはかのエリッヒ・フォン・シュトロハイム。ここから後年の『サンセット大通り』出演に繋がるのか。

 本作はまだ戦時中の作品。連合国側のプロパガンダ臭、ドイツ軍の妙にリアルな感じは当時ならでは(ドイツからの亡命者であるワイルダーならでは)なのかな。

 

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皇帝円舞曲』(1948年)

 ウィーンを訪れたアメリカ人セールスマン(ビング・クロスビー)が皇帝に蓄音機を売り込もうと奮闘するミュージカル・コメディ。というより人気歌手主演の「歌謡映画」という感じかなこれは。(歌は主人公しか歌わない)映画のムードもギャグも実にのんびりしていて、とっても牧歌的な映画だった。クロスビーが山歩きしながら歌うとやまびこが帰って来てコーラスになる場面とか面白かったけど。本作の前後が『失われた週末』『異国の出来事』。ワイルダーにしてこの牧歌的な雰囲気は明らか異質だ。人気歌手主演のファミリー向け企画だったのかな。

 

 

 

異国の出来事』(1948年)

 第二次大戦後、連合軍占領下のベルリンが舞台。在独米軍の風紀を視察に訪れた堅物の女性議員ジーン・アーサー、プレイボーイの米軍大尉ジョン・ランド、その愛人マレーネ・デートリッヒが繰り広げるラブ・コメディ。デートリッヒの歌の見せ場もふんだんに盛り込まれ、ワイルダーの演出が冴えた快テンポの作品。なんだけど、戦後間もない翳りが全編を覆う生々しい作品でもある。闇市、クラブのガサ入れ、デートリッヒが語るドイツ人の暮らし、そして荒廃したベルリンの実景が生々しい。ナチを逃れた亡命者であるワイルダーは本作をどんな気持ちで演出してたんだろうなあ。

 

 

 

『地獄の英雄』(1951年)

 己の野心のためには手段を択ばない新聞記者(カーク・ダグラス)と周囲の葛藤を描くハードな作品。エゴ剥き出しの主人公カーク・ダグラスの圧が強くて、ワイルダー作品らしからぬ刺々しい雰囲気だった。

 落盤事故で生き埋めになった男の救出を、事件を盛り上げるために主人公が引き伸ばす。主人公が書いた記事によって事態が肥大化していく過程が恐ろしい。商魂たくましい妻、暗闇で衰弱していく男、記事を読んだ野次馬が集まってお祭り騒ぎになる描写など強烈だった。

 本作は犯罪映画ではないけれど、主人公の抱えた鬱屈、突然噴出する暴力、悲惨な結末など、これはもうノワールの領域だろう。

 

 

 

(この項つづく)