Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

読書記録

 最近読んだ本で、まだブログに書いていなかったものをまとめて書き記しておきます。

 

『わたしは孤独な星のように』(池澤春菜) 2024年

 声優・エッセイスト・小説家でもある池澤春菜の初短編集。何か新しい日本のSF小説が読みたくて手に取ってみた。友人関係、ダイエットといった日常生活から思いもよらぬ飛躍を果たし、新しい視点(ヴィジョン)を獲得するに至る展開は正にSFの醍醐味。収録作の中では、孤独な魂の描出とSFならではの遠大なヴィジョンが両立した『祖母の揺籠』『いつか土漠に雨の降る』『わたしは孤独な星のように』の三篇が特に好きだった。それにしても福永武彦池澤夏樹池澤春菜と三代にわたって作家というのは凄いな!

 

 

 

『ホラー短編集2 南から来た男』(金原瑞人編・訳) 

 岩波少年文庫から出ている子供向けホラー小説アンソロジー。娘から薦められた一冊。ポー、ダール、ウェルズ、ヘンリーらの味わい深い恐怖譚が楽しめる。子供向けだけにグロは控えめ。好きだったのはブラッドベリ『湖』で、さすが映像の喚起力が高くオチも鮮やか。

 娘はエレン・エマーソン・ホワイト『隣の男の子』が一番面白かったと。収録作品の中で一番新しい(1991年)作品で、超自然要素はないけど捻った面白さあり。ティーン・ホラーの導入部としてこのまま映画化出来そうな感じ。さておき、ウチの娘もついにこのジャンルに手を出したかと感無量だ。ちなみに娘から薦められたもう一冊は『文豪ノ怪談 ジュニア・セレクション 厠』。題名の通り厠(トイレ)を題材にしたホラー・アンソロジー。これはまた妙なものを‥‥。

 

 

 

 

『ミセス・ハリス、パリへ行く』(ポール・ギャリコ) 1958年

 こちらは妻に薦められた一冊。ディオールのドレスに魅せられたロンドンの家政婦が、一念発起してパリを目指す。倹約に励む前半、パリに行ってからの冒険、前のめりな主人公の頑張りが微笑ましい。善意に溢れた世界にラストは少々の苦味が効いている。

 ギャリコは様々なジャンルを手掛けた名作家なんだな。全くノーチェックだった。『ポセイドン・アドベンチャー』の原作もギャリコなのか。一番気になるのはカンガルーのボクサーが活躍する『マチルダ』。映画版も珍品の香りがするのでぜひ見てみたい。ロバート・ミッチャムエリオット・グールドなんか出てるし。

 

 

 

ワイルドシングス VHSジャケット野性の美』(桜井雄一郎) 2024年

 かつてレンタル屋に並んでいたVHSソフトのジャケット・アートを集めた一冊。未見で気になったのは『グレゴア』と『ミッドナイト・ガール』辺り。『ミッドナイト・ガール』の出演者「スティーヴ・バセミ」ってブシェミのことかな。とか様々な発見あり。副読本は『デルモンテ平山の「ゴミビデオ」大全』か。どちらもビデオデッキの普及に伴い80年代に隆盛を極めたビデオレンタル店の様子、有象無象の作品が溢れたビデオ・バブル期の空気がパッケージされた貴重な記録だ。本書はジャケットに特化し、そこに「野性の美」を見る視点が素晴らしい。

 

 

 

『ガルヴェイアスの犬』(ジョゼ・ルイス・ペイショット) 2014年

 全く知らない作家だったけど、装丁に魅かれて手に取ってみた。舞台は1984年のポルトガル。巨大な隕石が落下したガルヴェイアスの村に暮らす人々と犬たちを生き生きと捉えた群像劇。隕石が発する硫黄の臭気。すべてを見守る犬たち。市井の物語が、突如神話の風格を持つに至る終盤が衝撃的だった。

「ぼくの恐れはあなたの意のままに。」

 

 

 

『そんな日の雨傘に』(ヴィルヘルム・ゲナツィーノ) 2001年

 こちらも全く知らない作家だったけど、装丁に魅かれて手に取った一冊。主人公は靴の試し履きの仕事をする男。新しい靴を履いて街を歩き回きながら、路上の人々や出来事を仔細に観察する。

 男は「自分の人生に存在許可を出した覚えがない」ので間違って生きていると感じている。違和感を抱え街を歩く男は、異様に細かい観察眼と執着心を発揮してコメントを述べ続ける。自分の元を去った女性、かつて関係のあった女性らへの想いも相まって、男から溢れ出るモノローグの奔流には終わりがない。頭の中の混乱した思考、度を越した饒舌さには辟易とさせられるが、何か症例がありそうにも思える。自分の人生が、長い長い雨の一日のようで、自分の身体が、そんな日の雨傘のようにしか感じられなくなった人たち。

 映画の欺瞞を批判するエピソードが出て来る。誘導する作り手も悪いが、騙される観客も悪いと。映画は「人生における現実の決断の世界と、観客の無決断の世界をごっちゃにしてしまう、それで映画館の観客は、自分まで一か八かの状況を生きてるみたいな錯覚を起こす。」と。

 

 

 

フロイト〈シナリオ〉』(ジャン=ポール・サルトル) 1958年

 ジョン・ヒューストン監督、モンゴメリー・クリフト主演『フロイド/隠された欲望』のボツ脚本。ジョン・ヒューストンサルトルの組み合わせというのにまず驚く。実はヒューストンはダシール・ハメットに始まり、ハーマン・メルヴィルラドヤード・キップリングカーソン・マッカラーズ、マルコム・ラウリー、テネシー・ウィリアムズ、遺作のジェイムズ・ジョイスに至るまで様々な文学作品を映画化してきた。脚本にトルーマン・カポーティレイ・ブラッドベリを召喚したりもしている。本作もそんな流れでサルトルに白羽の矢が立ったのか。

 ヒューストンとサルトルは案の定上手く行かず、推敲を巡り対立、完成した映画にサルトルの名はクレジットされていないようだ。映画は未見だが、脚本だけでも充分面白い。サルトルがどれほど映画に興味を持っていたかは分からないが、「フロイトと父親を同じ俳優に演じさせると良い(類似より違いを際立たせるため)」等、要所に演出プラン的な記述があるのが面白い。

 シナリオでは、フロイトは無意識に鼻の穴に指を突っ込む癖があるという設定で、シリアスな物語の中に妙なおかしみが漂う。映画版ではどうなってるんだろう。モンゴメリー・クリフトがやるのか。「あらゆる神経症には性的起源がある!」と熱弁をふるう姿は想像できるけど、鼻の穴に指は‥‥。

 完成した『フロイド/隠された欲望』にはスザンナ・ヨークが出ている。精神分析ネタでヨークとくれば、ロバート・アルトマン『イメージズ』との関連は如何に。ぜひ見てみたい。