旧友のダイカン師から久しぶりに映画鑑賞&飲みのお誘いがあり、ホン・サンス『映画館の恋』、アレックス・ガーランド『シビル・ウォー』、安田淳一『侍タイムスリッパ―』等々さんざん悩んで、ドキュメンタリー映画『花子』をセレクト。映画マニアではないダイカン師がどういう反応を示すかという興味もあったりして。
北区田端のCINEMA Chupki TABATAにて。以前京浜東北線で数駅先の王子に住んでたけど、田端駅は下りたの初めてだったかも。CINEMA Chupki TABATAは座席20席のミニシアター。バリアフリー対応の気遣いがされていて、館員の対応も丁寧な感じの良いところだった。
佐藤真監督『花子』(2001年)は、重度の障害を持つ花子さんとその家族を描いたドキュメンタリー中編(60分)。映画の記事では、夕食の残り物を素材にした「たべものアート」の作家今村花子さん、という風に紹介されていた。花子さんは夕食の残りを畳の上に並べる謎の行動とる。当初お父さんが「汚いから駄目だよ」と片付けてしまっていたが、お母さんは「これはアートではないか」と捉えて毎日写真に残し始める。花子さんが食べ物の残りを並べる真意は分からないながら、それを「アート」だと面白がるお母さんの視点とおおらかさが家族を導いていく。一方お父さんにはあれ以上の接し方は難しいだろう事も伝わってくる。夫婦で一枚の写真の見え方が違うという場面が印象的だった。長女の辛辣なコメントもあったりして、この辺、自分も女の子の父親なので、反省と胸の痛みを感じた。お父さんと花子さんが手を繋いで散歩する姿を捉えた長いショットが良かったな。
花子さんが激しくぐずって、ようやく落ち着いた頃、カメラがデ・パルマよろしくサスペンスフルにゆっくりと二階に上がっていくと、お父さんが三味線を弾いてる場面には思わず笑ってしまった。弦が切れて参ったなーなんて。階下の大騒ぎとお父さんのマイペースさ。想像も出来ない困難を抱えた一家の、あれは日常の一コマなんだなと。
『阿賀に生きる』等で知られる佐藤監督作品はずっと気になっていたけど、なかなかチャンスが無くて今回初鑑賞。ドキュメンタリー作家と言っても様々なアプローチがある中で、本作を見る限りでは非常にフラットで、被写体の良さが浮き立つような作風だなと感じた。作り手の自我や目線をごり押ししないというか。
終映後は、旧友のダイカン師と久々の飲み。約1年半ぶり。ゆっくり話せて楽しかった。ダイカン師は別に映画マニアではないけど、『花子』は「あの映像が撮れるまでには被写体と監督に信頼関係の構築過程があったはず」だと。だから凄いよこの映画、と的確なコメント。もうね、それ聞いただけで泣きましたよ。そうなんだよな。ダイカン師とは女の子を持つ父親同士、あの状況でどう対応するのが最も適切なのか、思うことを交換できてとても有意義だった。映画から20年以上経過しているので、あの家族は今どうなってるのだろうねとか、あれこれ感想は尽きなかった。