Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

必要なのはハル・アシュビー成分か

 

 70年代に活躍したアメリカの映画監督ハル・アシュビー。代表作『ハロルドとモード/少年は虹を渡る』はマイ・オールタイム・ベスト10入りの大好きな映画だ。仕事が忙しくなって疲労を感じていた4月頃、何か優しい映画が見たくなって、アシュビー作品を二本鑑賞した。

 

 まずは『帰郷』(1978年)を鑑賞。学生時代に見て以来の再見。ベトナム戦争で半身不随となった帰還兵(ジョン・ヴォイト)とボランティアの人妻(ジェーン・フォンダ)の恋愛模様。湿っぽい映画は嫌い、ジェーン・フォンダジョン・ヴォイトは演技がクサくて苦手。なので、学生時代に見た時は全くピンとこなかったけど、改めて見直したらこれが実に良かった。てか泣いてしまった。

 ハスケル・ウェクスラーの繊細な撮影。大文字の「アメリカ」ではなくて、ちゃんと顔が見える個々人の側に立った映画なのがいい。戦場の回想シーンなど描かなくても、彼らが抱えてしまった地獄がちゃんと伝わってくる。愛に敗れ、文字通り身体ひとつで退場していくブルース・ダーンの哀しみ。

 劇中にはロックの既成曲がずっと流れてるんだけど、BGMとも状況音とも違う、独特の響きだった。何か特別なミックスでも施されてるのか、あんな震えるように寂しいローリング・ストーンズは初めて聴いたような気がする。

 

 

 

 続けて『シャンプー』(1975年)鑑賞。こちらは初鑑賞。モテ男の美容師がお客の美女たちと繰り広げる大騒動・・・とくれば、イタリア映画なら鮮やかな色彩とトロヴァヨーリの音楽で愉快な艶笑コメディになりそうだ。一方『シャンプー』は、夢を追うしか能のない男が空回り続けるアメリカン・ニューシネマの成れの果てだった。

 政治に無関心で空虚なセックス・マシーンでしかないウォーレン・ベイテイの負け犬ぶりは、ショーン・ベイカー『レッド・ロケット』の元祖みたいだ。主人公がふと立ち止まると、ポール・サイモンの優しい音楽が流れ出す。脚本はベイテイとロバート・タウン。撮影ラズロ・コヴァクス。

 主人公を取り巻く女性たちが強烈な存在感を放っていた。ジュリー・クリスティ、リー・グラント、レイア姫以前のキャリー・フィッシャー、そしてゴールディ・ホーンの超絶的な愛らしさには参った。

 

 

 そういえばこの二本は『俺たちに明日はない』のウォーレン・ベイテイ、『真夜中のカーボーイ』のジョン・ヴォイトというアメリカン・ニューシネマ初期の代表作でブレイクした俳優のその後の主演作だ。

 

 今年は4月頃から仕事が忙しくなり、数ヶ月経っても一向にヒマになる気配が無い。疲労困憊の7月、アレクサンダー・ペイン監督の新作『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』を鑑賞。X(Twitter)でハル・アシュビーぽいという評判を聞いて、どんなものかと興味を魅かれたのだった。

 時は1970年12月、舞台は寄宿制の高校。クリスマス休暇に皆が帰省する中、学校に残された孤独な3人の交流を描くヒューマン・ドラマ。

 キャラクター中心の作劇、映像の手触り、音楽が寄り添う感じなど確かにアシュビーっぽかった。しかも単なるスタイルの剽窃ではなく、アシュビー精神の継承というような真摯な姿勢で、優しさとユーモア、そして苦さを見事に継承しているではないか。これには感激した。レストランで一悶着あった後、寒空の駐車場で●を食べようとする場面なんてもう。何度か涙腺が潤み、ここでついに決壊。

 本作が参照している『さらば冬のかもめ』と一緒で、登場人物の賢明さで何となくハッピーエンドみたいに見えるだけで、事態は良くなってないという。そんな苦さも良かった。主演3人(ポール・ジアマッティ、ダヴァイン・ジョイ・ランドルフ、ドミニク・セッサ)の不器用そうな感じも好きだった。

 

 後にXのFFさんが本作はアシュビーにしてはちゃんとし過ぎてると指摘していた。70年代映画、またアシュビーはもっと自由さがあったのではないかと。それは確かにそうだと納得しつつ、やっぱり『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』は好きな映画だなと思う。今のところ今年のBestですこれは。自分が必要としていたのはアシュビー的な成分、優しさと苦さが絶妙にブレンドされたあの感じだったのだなと改めて。