Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

『ゲゲゲの女房』(鈴木卓爾)

ゲゲゲの女房 [DVD]

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ゲゲゲの女房


 監督/鈴木卓爾
 原作/武良布枝
 脚本/大石三知子鈴木卓爾
 撮影/たむらまさき
 音楽/鈴木慶一
 出演/吹石一恵宮藤官九郎、坂井真紀、夏原遼村上淳
  (2010年・119分・日本)


 大ヒットしたNHK朝の連続テレビ小説の映画版・・・かと思ったら、水木しげる夫人の自伝エッセイ『ゲゲゲの女房』映画化の企画は、TVシリーズより先に進行していたのだという。公開のタイミングが悪くていかにも後追い企画のように見えるのがお気の毒。昨年劇場公開された時には、「音楽・鈴木慶一」という事で興味をそそられつつも、監督が以前短編見て苦手だった人(鈴木卓爾)なので躊躇している内に見逃してしまった。


 主演は「ゲゲゲの女房」役が吹石一恵、「ゲゲゲの亭主」役が宮藤官九郎。TV版とは明らかに違い、リアルなゲゲゲワールドを描こうという製作姿勢は明確だ。映画は主人公布枝が貸本漫画家のしげるの元に嫁いで、極貧生活を送る姿を淡々と描く。やがて貸本の時代が終り、しげるが漫画家としてブレイクしそうなところまでを描いている。


 鈴木監督の演出は、固定カメラで動きの少ない芝居が続く。見る前に予感していた通り、演出タッチに上手く乗ることが出来ないまま終わってしまった。何やら「吹石一恵が終始戸惑ったような表情を浮かべて立っているだけの映画」という印象だ。シナリオの上では時間の経過もあるし、描かれていない部分もあるのは了解出来るとして、それにしてもこの夫婦がいかにして仲良くなったのかさっぱり分からない。妖怪とともにある、というしげるの世界観をいつの間に共有できるようになったのか分からない。


 映画は昭和30年代の風景をリアルに再現しようとはせず、真面目に演技をする登場人物たちの背景に高層ビルや今時の格好した通行人が平然と映りこんだりする。低予算を逆手に取って、貧乏夫婦が世間から孤立している様子を強調する為にあえて行なった演出であろう。そういった意図は分かるとしても、何だか唐突なだけで、登場人物の貧しさよりも映画そのものの貧しさ(低予算ぶり)を露呈しているようでいたたまれない感じだった。ちなみに映像そのものは低予算にも関わらずきちんと質感を捉えていたと思うが(撮影は名手田村正毅)。


 映画のリアリティとは不思議なもので、水木しげるの話という前知識があるので、登場人物の周りに妖怪姿の人物が映っても別におかしいとは思わない。ところが、背景に高層ビルや通行人が映りこんでいると途端に拒否反応を覚えてしまう。思うに「これはこういう映画なんだ」というルール(世界観)を観客と共有できるような前振りが足りないのだと思う。漫画がアニメーションで動き出す演出も、映画の雰囲気に合っていない気がして違和感ばかり感じてしまった。


 主人公は壁の振り子時計のゼンマイを回すのを日課にしている。ところが、貧乏のあまりついに時計まで質に出してしまった。その後に、主人公がいつもの習慣でゼンマイを回そうとしたら時計が無いのに気が付いてガッカリする・・・という場面がある。シナリオの上では了解できる展開だと思う。でも、画面の上では単なる段取り芝居にしか見えない。時計の無くなった壁が延々映っていて、それに対して主人公が脚立を出して、それに上って、時計が無いのに気が付いてガッカリする・・・ってそんな演出じゃ何の驚きも無いではないか。つまり、演出が主人公の心情にちゃんと寄り添っていないのだ。ラストは主人公が新しい時計のゼンマイを巻く場面で終わるのだから、そこがちゃんと描けて無いと彼女の喜びが伝わらないではないか。


 世渡り下手で偏屈な漫画原作者とその妻を描く『アメリカン・スプレンダー』(2003年)という映画がある。本作と共通する部分の多い映画だ。見比べてみると面白いと思う。