Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

『メランコリア』(ラース・フォン・トリアー)

メランコリア』 Melancholia


 監督/ラース・フォン・トリアー
 脚本/ラース・フォン・トリアー
 撮影/マヌエル・アルベルト・クラロ
 出演/キルスティン・ダンストシャルロット・ゲンズブールキーファー・サザーランドステラン・スカルスガルドウド・キアジョン・ハートシャーロット・ランプリング
 (2011年・130分・デンマーク


 ラース・フォン・トリアー監督の新作メランコリア見る。仙台フォーラムにて。


 姉夫婦の所有する郊外の屋敷で、ジャスティン(キルスティン・ダンスト)の結婚披露宴が行なわれようとしていた。幸せなはずのジャスティンだったが、何故か心は晴れず、披露宴には遅刻し、式の最中に何度も抜け出して参列者を困惑させる。仕舞いには上司と口論し職を失い、優しい婚約者を裏切り、自ら全てを台無しにしてしまうのだった。翌朝、両親や婚約者は屋敷を去るが、鬱状態に陥ったジャスティンはそこに居残り眠り続ける。姉(シャルロット・ゲンズブール)は夫(キーファー・サザーランド)に疎んじられながらジャスティンの世話をする。その頃、小惑星メランコリア」が地球に接近していた。姉は小惑星が地球に衝突するのではないかと怯えるが、ジャスティンは次第に平静を取り戻してゆく・・・。


 『メランコリア』は、小惑星が地球に衝突するという終末SFである。と言えば『アルマゲドン』や『ディープインパクト』、(パンフレットで滝本誠氏が指摘していた)我が国の『妖星ゴラス』などが即座に思い浮かぶ。ところがそれらの映画と『メランコリア』は全く似ていない。通常この手の映画では必ず描かれるはずの科学者や政治家たちの奮闘や、市民のパニックなど社会の様子は一切描かれない。舞台は郊外の屋敷に限定され、映画の後半は4人の人物しか登場しないのだ。


 さらに、『メランコリア』は今までのラース・フォン・トリアー作品ともちょっと様子が違う。これまでトリアーは薄幸のヒロインをひたすらに虐め抜き、手持ちキャメラで不快な瞬間を捉えることに心血を注いでいた。ところが今回は違う。トリアーはヒロインとともにある。パンフレットによると、トリアーは実際に鬱病を患ったことがあり、その体験を元に本作を企画したという。ヒロインの側に立って演出するとかいうレベルではなくて、トリアー=ジャスティンなのである。これはかつてのトリアー作品と大きく異なる点ではないかと思う。それ故か『奇跡の海』『イディオッツ』『ダンサー・イン・ザ・ダーク』『ドッグヴィル』といった諸作に比べると、不快感が薄い。ついでに言うと、しっかり者に見えた姉が破滅の恐怖に怯えて取り乱す姿を眺めるジャスティンの恐ろしい目つきは、正にトリアー本来のサディスティックな演出態度を想起させるものであった。


 メランコリアとは憂鬱、鬱病を指す言葉である。ジャスティンが鬱状態に陥ると、まるで彼女の内面を反映したかのように小惑星が地球に接近する。世界が終りに近づくにつれジャスティンは次第に復調し、登場人物の誰よりも落ち着いて世界の終りを迎える。主人公の内面と世界の崩壊が連動して描かれ、その際に主人公の周囲以外の様子は一切描かれない。これがいわゆる「セカイ系」という奴か?何しろ「憂鬱」という名の小惑星で地球が滅びるのだ。ワーグナーが大音量で鳴り響き、超スローモーションで捉えられた美しい「世界の終り」の映像は、トリアー=ジャスティンの願望を視覚化したものなのだろう。


 残念ながら、自分はトリアー=ジャスティンの憂鬱を共有することは出来ない。自分は言うなれば最後の最後までおろおろと取り乱す姉の方であろうなあと思う。それ故に『メランコリア』を心底好きにはなれないが、興味深い作品なのは間違いない。こんなに監督=主人公=物語=描写が近い(というか、それこそ小惑星のごとく塊となった)映画は珍しいではないか。


 主演は『スパイダーマン』や『チアーズ!』のキルスティン・ダンスト。溌剌とした典型的なアメリカン・ガールというイメージの彼女が、鬱に囚われて煩悶するヒロインを熱演。姉役は『アンチクライスト』に続いての登板となるシャルロット・ゲンズブール。義兄役はキーファー・サザーランド。ヒロインの両親はジョン・ハートシャーロット・ランプリング。こんな両親は恐ろしいなあ。脇にはステラン・スカルスガルドウド・キアら常連の姿も。抽象的なアート映画に終わらないのは、これら俳優たちの生々しい存在感あってこその事だと思う。


 『メランコリア』は破滅SFとしての細部もなかなか面白い。特に少年が針金で作った装置(小惑星の大きさを測定する)のもたらす恐怖と、まるでふたつの月が昇ったかのようにメランコリアと月が夜空に輝く場面は強く印象に残った。