Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

『狂った一頁』(衣笠貞之助)


『狂った一頁』


 監督/衣笠貞之助
 原作/川端康成
 脚本/川端康成衣笠貞之助、犬塚稔、沢田暁紅
 撮影/杉山公平
 出演/井上正夫、中川芳江、飯島綾子、根本弘、関操
 (1926年・59分・日本)


 衣笠貞之助監督のサイレント映画『狂った一頁』見る。諸事情により国内ではソフト化されていないようだが、YouTubeにアップされていると聞いてチェックしてみた。カメ師、貴重な情報ありがとうございます。『狂った一頁』のフィルムは消失したと言われていたが、1971年にプリントが発見され復元版が作られた。YouTubeにアップされているのは、海外でも公開されたというこのバージョンかと思われる。
 

 台詞や状況説明の字幕は一切入らないので、お話や登場人物の背景は想像するしかない。精神病院で小間使いとして働く男、患者として入院しているその妻を中心に、入院患者たちの姿や、医師や看護婦との交流が描かれている。小間使いの男は妻を連れて精神病院を抜け出そうとするのだが・・・。


 冒頭のクレジットに曰く「新感覚派映画連盟」製作。激しい移動撮影、斜めに傾いた構図、オーバーラップ、歪んだ映像など、撮影技法や編集に凝りまくっていて、なるほど「新感覚派」という訳だ。土砂降りの雨音を表現しようと、太鼓を叩く映像とオーバーラップさせたり、サイレント映画ならではの工夫が随所に見られる。


 モノクロのサイレント映画はどれも悪夢のようだ。言葉が無いのは勿論、コマのスピードやカット割り、人物のサイズ、それら全てが見慣れた映画とは違っている。そもそも空気や時間の流れからして違うような気がする。別に怪奇映画だけではない。キートンスラップスティック映画であっても、昨夜見た悪夢の延長線にあるように見える。本作でも、舞踏病?の患者が延々と踊る姿(いつまで続くのか不安になるほど長い)、胎児のように歪んだ男の顔、小間使の妻が見せる妙に生々しい表情など、まるで悪夢の断片のようなイメージに溢れている。


 本作では、精神病院の廊下が重要な場所として描かれている。そこは医師や患者の交通の場であり、時に引き裂かれた夫婦の交流の場であり、時に荒々しい暴動の場であり・・・。思うに、脳内を描いた映画では「廊下」が重要な装置として機能するのではないか。サミュエル・フラーの『ショック集団』しかり、コーエン兄弟の『バートン・フィンク』しかり、本作しかり。