Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

『リアル 完全なる首長竜の日』(黒沢清)

『リアル 完全なる首長竜の日』


 監督/黒沢清
 脚本/黒沢清田中幸子
 原作/乾緑郎『完全なる首長竜の日』
 音楽/羽岡佳
 撮影/芦澤明子
 出演/佐藤健綾瀬はるか中谷美紀オダギリジョー染谷将太
 (2013年・127分・日本)



 黒沢清監督の新作(そう、黒沢清監督作品なのだよこれは)『リアル 完全なる首長竜の日』見る。札幌シネマフロンティアにて。出張時にレイトショーで鑑賞。


 先に原作を読んで一番驚いたのは、あまりの読み易さだった。記憶や仮想現実が幾重にも折り重なったややこしい物語にも関わらず、作者の文章力、構成力の成せる技であろうか、実にスッキリと読み易い。SF的な設定や引用もうるさくならない位の程よい加減で、作者のバランス感覚を感じさせるものであった。個人的には、逆にその辺のスマートさに物足りなさを覚えたものだ。というか、普段自分が好んで読んでいる小説がいかにゴツゴツとしたものかと気付かされた。これは原作を貶している訳ではなくて、単に好みの問題なんで念のため。


 で、映画版の話。自殺未遂をおこして昏睡状態に陥った彼女(綾瀬はるか)の意識下に潜入し、覚醒に導こうとする・・・という大まかなあらすじは原作と同じ。しかし主人公たちの設定が全く異なっている他、漫画、赤い旗、首長竜、等々のモチーフに原作とはそれぞれ違う意味づけがなされている(原作で印象的だった砂浜での宝探しのエピソードが無いのは残念だったが、この脚色では入りようがないだろう)。黒沢監督なりに、メジャーなエンターテイメント大作として仕上げようという意欲は充分に伝わってくる。主人公を若い二人に変えたり(原作の主人公たちは恋人同士ではなくて、中年女性とその弟)、時にわざとらしいくらい台詞で説明してみせたり、首長竜大暴れの派手な見せ場があったり・・・。結果、映画版はそれこそ自分が好んで読む小説のごとくゴツゴツとしていびつな仕上がりであった。「原作付きの」「メジャー大作」でありながら、黒沢監督ならではの感覚が剥き出しになった興味深い映画である。ジャンル的には、言うなれば「ファンタジックな恋愛映画(『ある日どこかで』とか)」なんだけど・・・。


 映画版にたちこめているのは濃密な死の気配。全編、黒沢監督の過去の作品と地続きの異様な世界が展開する。主人公を脅かす子供の幽霊は『降霊』のように昼間から出没し、映画版の「フィロソフィカル・ゾンビ」は『回路』の幽霊たちのようだ。ヒロインの生家の場面、仕事場に編集者が訪ねてくる場面は特に恐ろしい。キング/ダラボンの『ミスト』のごとく、深い霧がたちこめる仮想世界の描写も恐ろしい。『贖罪』のラストで小泉今日子が歩いていたのはここだったのか。漫画から実体化する死体、とても最新の医療施設とは思えぬ暗い廊下、そして廃墟・・・。演出(というより世界観かな)が思いっきりホラー寄りなのであった。そう言った意味では、いびつだろうが何だろうが、黒沢監督のファンならば興奮間違いなしの作品である。他人の意識下に潜入する話と言うことで、先行する『ザ・セル』『インセプション』みたいなものを期待すると肩透かしを喰らうかもしれないが。個人的には、今回体調不良の中、無茶なスケジュールで鑑賞したにも関わらず、緊張感が途切れることはなかった。劇場で見れて良かったと思う。


 映画の幕切れは、原作の冷ややかな感覚とは全く異なる印象だ。これには賛否両論ありそうだけれど、黒沢監督なりにメジャー大作の終わり方はこうだろう、と熟考した結果なのだろうと思う。(自分の信じていた)世界の崩壊、孤立感、そしてその先を描こうという黒沢監督の姿勢は、『回路』に共通していると思う。主人公が病床の恋人に向ける優しい眼差しは、『回路』のラストでヒロイン(麻生久美子)が壁の染みとなった友人に向ける優しい眼差しを思い出す。