Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

『あなたの人生の物語』(テッド・チャン)

あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)

あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)


 高所恐怖症なので、飛行機が苦手だ。仕事の関係で月に1〜2回札幌に行かねばならず、そのわずか1時間ほどのフライトさえ毎回緊張の連続である。「自分が尋常ではない高さの場所に居る」と考えただけで気分が悪くなる。これには何度乗っても一向に慣れるという事が無くて、断固として飛行機に乗るのを拒んだ『パリ、テキサス』のトラヴィスの気持ちが良く分かる。最近は必ず文庫本を持参して、読書に意識を集中し飛行機に乗っているという事を頭から追い払おうと努力している。


 テッド・チャンの短編集あなたの人生の物語もまた出張の際に持参して、機内で読み始めた。冒頭に掲載されていたのが『バビロンの塔』という作品。これが天まで届く塔を建設するという内容で、高所恐怖を刺激する凄まじい作品だったので慌てて本を閉じてしまった。


 それはさておき。本書には1990年〜2002年に発表された8つの短編が収録されている。『バビロンの塔』『理解』『ゼロで割る』『七十二文字』『人類科学の進化』『地獄とは神の不在なり』『顔の美醜について』、そして表題作『あなたの人生の物語』。解説によるとチャンは寡作で知られており、作品は短編・中編のみ。本書刊行時点(2002年)では、これが彼の作品の全てなのだという。


 表題作『あなたの人生の物語』は、地球を訪れた異星人とコミュニケーションを取るべく試行錯誤を繰り返す女性言語学者を描く。調査チームが異星人の言語を次第に習得していく様子と、主人公が不幸に見舞われた娘に語りかけることばが交互に描かれる。異星人の言語/思考を学ぶ内に、主人公の中に新しい世界観が芽生えてくる。読み進むと、主人公が娘に語りかける章は、その新しいものの見方で人生を振り返ったものであるという事が分かってくる。『あなたの人生の物語』というSFらしからぬ題名に反して、日常とは違う世界の見方を提示するというSFならではの作品であった。しかもとびきりエモーショナルな。近年最も衝撃的だったコミック、市川春子『虫と歌』『25時のバカンス』がそうであったように。


 収録作品はバラエティに富んでいて、どれも面白い。中でも超人類の対決を描く『理解』、天使の降臨を奇跡というより天災として描いた『地獄とは神の不在なり』が印象に残った。巻末に掲載された作者本人の覚書によると、『地獄とは神の不在なり』は映画『ゴッド・アーミー』を見て触発されたのだという。『ゴッド・アーミー』(グレゴリー・ワイデン監督)はクリストファー・ウォーケン、ヴィゴ・モーテンゼン、バージニア・マドセン、エリアス・コーティアスら濃い面々が顔を揃えた(B級)ホラー・アクションの佳作だ。


 テッド・チャンは1967年生まれというから全くの同世代。『バビロンの塔』がデビュー作で、しかもいきなりネビュラ賞受賞というから、世の中にはまだまだ面白い作家がいるもんだなあと感心した次第。次なる短編集が楽しみだ。