Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

『テオレマ』(ピエル・パオロ・パゾリーニ)

 

 

 ピエル・パオロ・パゾリーニ監督『テオレマ』(1968年)鑑賞。ミラノ郊外に暮らす退屈しきったブルジョワ一家に流れ者(テレンス・スタンプ)が入り込み、一家全員を虜にして、また去ってゆく。残された一家は自己崩壊してゆく・・・というお話。

 

 宗教と政治(革命、階級闘争)、そして性というパゾリーニのテーマ性が比較的わかりやすく描かれていると思いました。ただ、随所に出てくる宗教的な部分、特に家政婦(ラウラ・ベッティ)のエピソードはやはりキリスト教に馴染みが無いせいか分かりにくいというか、唐突な印象を受けました。家政婦が奇蹟を起こす(病気の子供を見つめるだけで治癒させる)とか、空中浮遊するとか、流す涙が泉になるとか、しかるに家政婦に力を授けた流れ者はキリストの再来であったのか、とか・・・。キリスト教圏の観客ならば、この辺の含みはすぐに飲み込めるのかもしれませんが。

 

 本作はブラック・コメディだと思うんだけど、演出タッチは基本的にシリアス。笑っていいのか何なのか戸惑う場面がたくさんありました。ラストに至っては、全裸の夫が雄たけびを上げながら荒野を駆けるショットで唐突に「FINE」の字幕が。「ええっ?これで終わり?」という観客の戸惑う空気が場内に充満していて、思わず笑ってしまいました。時折挿入される荒涼とした風景ショットや性描写、ずっと夕陽を浴びているようななフィルムの質感からどことなくロマンポルノを連想したり。

 

 流れ者を演じるのはテレンス・スタンプ。妻や娘だけでなく、夫や息子までも虜にして関係を結んでしまうという突拍子もない役柄を言葉少なに納得させてしまう存在感。青い目と妖しい吸引力が凄い。川縁の草むらで寝そべりながら夫を待つ仕草、フランシス・ベーコンの画集をじっくり眺める場面に張り詰める同性愛のフェロモン。

 

 一家の娘役は政治時代のゴダールのミューズ、アンヌ・ヴィアゼムスキーブレッソンの『バルタザールどこへ行く』 (1966年)でデビュー、ゴダールの『中国女』(1967年)を経て、本作は1968年の作品なので、まだ初々しい。流れ者の誘惑に胸を見せる場面があったり、流れ者が去った後の奇矯な振る舞いなど、何だか痛々しい感じでした。

 

 音楽はエンニオ・モリコーネパゾリーニとは『大きな鳥と小さな鳥』『デカメロン』『カンタベリー物語』『ソドムの市』と何度もコンビを組んでいます。本作のスコアは珍しくジャズっぽい。時折、いかにもモリコーネっぽい旋律とコーラスの曲もあり、それらは劇伴というよりも劇中で登場人物が見ているTVから聞こえてくるような不思議な距離感で鳴り響いていました。

 

『テオレマ』 TEOREMA  

監督・脚本/ピエル・パオロ・パゾリーニ 撮影/ジュゼッペ・ルッツォリーニ 音楽/エンニオ・モリコーネ

出演/テレンス・スタンプシルヴァーナ・マンガーノアンヌ・ヴィアゼムスキー、ラウラ・ベッティ、マッシモ・ジロッティ、ニネット・ダヴォリ

1968年 イタリア