Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

『映画もまた編集である―ウォルター・マーチとの対話』(マイケル・オンダーチェ)

映画もまた編集である――ウォルター・マーチとの対話

映画もまた編集である――ウォルター・マーチとの対話


 映画編集者ウォルター・マーチと、作家マイケル・オンダーチェの対談集『映画もまた編集である―ウォルター・マーチとの対話』みすず書房)読む。


 ウォルター・マーチは『地獄の黙示録』『カンバセーション・・・盗聴』等のコッポラ作品、『イングリッシュ・ペイシェント』等のアンソニー・ミンゲラ作品、オーソン・ウェルズのメモに基づく『黒い罠』完全版などを手掛けた名編集者。一方のマイケル・オンダーチェは『イングリッシュ・ペイシェント』の原作者であり、ブッカー賞受賞の作家である。単なる映画本としても充分に楽しめるが、「編集」という切り口から見た芸術論として興味の尽きない一冊である。あまりに面白いんで一気読みしてしまった。


 本書の魅力はすなわちウォルター・マーチという人物に集約される。マーチの持つ知識と興味は幅広く深いもので(何しろ彼が一番不得手なのは映画史なのだという)、彼の語る言葉を読んでいるだけでも面白い。例えば、こんな(ほとんど妄想の域に達してるのではないかと思われるような)事を真顔で語ったりする。


 かつて音楽は、演奏家から演奏家へ伝聞形式で引き継がれるものであった。ところがある時「楽譜」という画期的な手法が発明され、世界に広まっていった。映画はいまだ「前楽譜時代」であるが、いずれ映画制作の作法も紙上に書き記す事が(数値化理論化する事が)出来るのではないか・・・。


 マーチの語る言葉は非常に明晰で、手法は具体的だ。映像編集の手法として突き詰めていくならば、確かに「楽譜」化出来るのではないかと思わされる。実際、場面に合わせた具体的なカット数やシーン数などを開示してみせる一幕もある。勿論、マーチの編集術が理論化されたからといって、そうそう真似できるような単純なものではないだろう。(同じ「楽譜」を使っても演奏家によってひとつとして同じ演奏がないように)しかし映像編集の可能性を広げる為には、確かにそういう発想もありだろうと思う。


 本書の邦題について一言。何だか回りくどい感じがして違和感を感じてしまうのだがいかがなものか。「映画もまた」とか言わないで「映画とは」でいいじゃないかと思う。原題はTHE CONVERSATIONSとシンプルなもの。作家であるオンダーチェが小説の作法について語り、それに対してマーチが映画の作法にも共通する面があるのだよと語る。それ故この邦題なのだとは思うが・・・。何しろ映画の話題がメインなんだし、「映画は編集である(小説もまた)」くらいでいいと思うのだが・・・。


 さておき、映画ファン必読の書と断言しよう。映画というものが、なぜ観客の記憶に10年後も30年後も留まり続ける事が可能なのか? その謎を解く鍵が語られた画期的な書物であると思う。