Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

『野生の探偵たち』(ロベルト・ボラーニョ)

野生の探偵たち〈上〉 (エクス・リブリス)

野生の探偵たち〈上〉 (エクス・リブリス)


 何だか忙しくてなあ最近。映画は全く見に行けてないけど、出張が多いんで読書だけはサクサク進む。ここ一ヶ月半で読んだのは、『殺人ケースブック』(コリン・ウィルソン)、『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』(町山智浩)、『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997−2009』、『暗くて静かでロックな娘』(平山夢明)、『野生の探偵たち』上下巻(ロベルト・ボラーニョ)、『Running Pictures 伊藤計劃映画時評集1』。


 という訳で。チリの詩人・作家ロベルト・ボラーニョの長編『野生の探偵たち』Los detectives salvajes(1998年)について。


 時は1975年、物語の主人公は「はらわたリアリズム」と称する前衛詩人グループのリーダー、アルトゥーロ・ベラーノとウリセス・リマ。ある日、グループの仲間である娼婦ルペが仕事から足を洗おうとしてポン引きたちとトラブルを起こす。ベラーノとリマ、娼婦ルペとメンバーのひとりガルシア=マデーロの4人は、車で町から逃げ出す羽目に陥った。メキシコ北部の砂漠地帯へと逃れた4人は、ポン引きのアルベルトの執拗な追跡をかわしながら、伝説の女流詩人セサレア・ティナヘーロの足取りを追い求めて各地を点々と移動する。行く先々で聞き込みをし、彼女を知る人物を訪ね歩き、図書館や新聞社を巡って調査を重ねて、次第に「はらわたリアリズム」の創始者セサレア・ティナヘーロへと迫ってゆく。そしてついにセサレア本人を見つけ出すのだが・・・。


 本書は三部構成になっている。第一部と第三部は、詩人志望の学生ガルシア=マデーロの日記。ガルシア=マデーロは、「はらわたリアリズム」(何てネーミングだ!)に誘われ、メンバーとの交流を通じて次第にドロップアウトしてゆく。ガルシア=マデーロの成長と、詩人たちの群像が日記という形式で生き生きと綴られている。本書は半自伝的小説と言われているようで、詩作の知識と創作意欲(と性欲)ではち切れそうになっている若きガルシア=マデーロの姿には、かつてのボラーニョ自身が反映されているのだろう。メキシコ北部の砂漠地帯を旅する4人を描く第三部も素晴らしい。ここだけ映画化したいくらいだ。


 本書最大の特色は、第二部にある。第二部はアルトゥーロ・ベラーノとウリセス・リマを知る人物たちへのインタビューで構成されている。第一部と第三部で描かれた事件の後、ベラーノたちは分かれ分かれになる。詩人仲間や元恋人、評論家、旅先で知り合った人々など、様々な人物の声によって、その後20年以上に渡って世界各地を放浪したベラーノとリマの足取りが次第に浮かび上がってくる仕掛けだ。


 放浪を繰り返しながら、伝説の女流詩人の足取りを執拗に追い続けるアルトゥーロ・ベラーノとウリセス・リマ。そして2人の20年にも及ぶその足取りを追う膨大なインタビュー。表題に掲げられた「探偵たち」とはアルトゥーロ・ベラーノとウリセス・リマであり、その足取りを解き明かしてゆく本書そのものを指しているのだ。無名(タイトルに倣って野生と呼ぶべきか)の詩人が無名(野生)の詩人を探すという設定がまず面白いし、先に読んだ短編集『通話』にも描かれていた通り、書くことを止めようとしない無名(野生)の作家たちへボラーニョが送る熱いエールが胸を打つ。


 膨大なインタビューで構成された第二部を読んでいてずっと気になったのは、一体誰がインタビュアーなのかということだった。歴史に名を残す大詩人でも何でもない、無名の詩人2人の生涯をここまで丹念に辿っているのは一体何者なのだろうか。「ベラーノ」と呼びかける人物がいるので本人がインタビュアーなのかとも思うが、第一部、第三部の語り手(日記の執筆者)ガルシア=マデーロが成長して、別れた後の2人の足取りを辿り直した、と考えるのが自然かもしれない。


 ところで、短編集『通話』にはジョン・カーペンターの名が出て来たが、本作にはキューブリックの『シャイニング』が登場する。ボラーニョ、ホラー映画好きだったのか?


 さて、次は遺作『2666』行ってみようか。あの分厚い本を出張に持っていく訳にもいかないから、読み終えるのはいつになるかわからんが・・・。