Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

『通話』(ロベルト・ボラーニョ)

通話 (EXLIBRIS)

通話 (EXLIBRIS)


 ロベルト・ボラーニョはチリのサンティアゴ生まれの作家・詩人。解説に曰く「現代文学に欠かすことの出来ないラテンアメリカ作家のひとり」との事だが、2003年に50歳という若さで既に亡くなっている。昨年翻訳されたボラーニョの遺作『2666』を本屋で見かけて、辞書みたいな分厚さに驚いた。何しろ全868頁、定価6,930円という大長編なのだ。柳下毅一郎氏やいとうせいこう氏の紹介を読んで関心を持ったので、今年は『2666』にトライしてみようと決心したのだが、さすがに外すと痛いボリュームなので、まずはボラーニョの旧作を読んでみることにした。という訳で、初期の短編集『通話』Llamadas telefónicas(1997年)を手に取った。

 
 本書は三部構成となっていて、全部で14の短編が収録されている。第一部『通話』は、スペインに亡命中の年老いたアルゼンチン人作家と、駆け出しの若手作家の交流を描いた『センシニ』、第二次大戦中、ドイツ占領下のフランスで生き延びた売れない作家が伝説の人物になってしまう『アンリ・シモン・ルプランス』など、5つの物語が綴られている。逆境にありながら(もしや才能も無いかもしれないのに)書くことを止めようとしない無名の作家や詩人たちが主人公だ。ボラーニョが彼らに対して静かな共感を寄せているのが伝わってくる。表題作の『通話』だけは創作の話ではないけれど、一方通行で悲劇に終わる「通話」の物語は、売れない作家や詩人たちの置かれた哀しい立ち位置と共通するものがあるのだろう。


 第二部『刑事たち』は、チリ・クーデターの動乱を生き延びた男たちの会話劇『刑事たち』ほか、暴力の影が色濃い5つの物語が綴られている。第三部『アン・ムーアの人生』は、ベテランポルノ女優が病床から全盛期を回想する『ジョアンナ・シルヴェストリ』(主人公の恋する相手はジョン・ホームズか)ほか、女性を主人公とした4つの物語が綴られている。


 14篇どれも、技巧を凝らした短編と言うよりは、ルポルタージュ風と言うか、平易な文章なのが好印象だった。社会不安や時代背景もさりげなく描かれ、登場人物たちの人生が立体的にしっかりと刻み込まれていると思った。個人的には、第二部に収録された『芋虫』が地味ながら最も印象に残った。メキシコ市の公園で出会った不思議な男が、暗殺と護衛を生業とする人々が住む村について語るというもの。ここに出てくる妙なフランス映画って何だろうなあ。ボラーニョの創作だろうか。


 ところで、本書には何故かジョン・カーペンターの名が二度登場する。『ジョアンナ・シルヴェストリ』では、主人公(ポルノ女優)の仕事仲間が今度カーペンターの次回作に参加するつもりだと語る。また『アン・ムーアの人生』では、主人公アンがメキシコの安宿で愛人と愛し合った時、安宿の壁がまるで生肉で出来ているようでその表面を何かが走り回っているのが見えたと語る。まるでジョン・カーペンターの映画みたいに、と。その言葉に、語り手が律儀に「そういう特徴のあるカーペンター映画は僕の記憶にはない」とコメントしているのがおかしかった。固有名詞が氾濫するような作風ではないだけに、二度も出てくるのが不思議だったなあ。ボラーニョ、カーペンターのファンか?「そういう特徴のあるカーペンター映画は僕の記憶にはない」なんてくらいだから、多分そうかも。