Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

『銃撃』(モンテ・ヘルマン)

銃撃 [DVD]

銃撃 [DVD]


『銃撃』 THE SHOOTING


 監督/モンテ・ヘルマン
 製作総指揮/ロジャー・コーマン
 脚本/キャロル・イーストマン
 撮影/グレゴリー・サンダー
 音楽/リチャード・マーコウィッツ
 出演/ウォーレン・オーツ、ウィル・ハッチンス、ミリー・パーキンス、ジャック・ニコルソン、チャールズ・イーストマン
 (1966年・82分・アメリカ)


 モンテ・ヘルマンのミニ特集、『銃撃』(1966年)について。日本劇場未公開。現在は日本版DVDがキングレコードよりリリースされている。製作ロジャー・コーマンの経済的なプロデュース術に則って、同一のロケ地、重複したキャスティングにより『旋風の中に馬を進めろ』と二本撮りされたのだという。黒沢清の『蛇の道』と『蜘蛛の瞳』みたいな感じか。


 砂金堀の中年男(ウォーレン・オーツ)が仕事から戻ると、仲間の若者が怯えた表情で待っていた。何があったのか訊ねると、仕事仲間の二人が「子供と男を轢いてしまった」と戻って来た後、一人は何者かに射殺され、もう一人は何処かに失踪してしまったという。そこに女(ミリー・パーキンス)がやって来ると、道案内をして欲しいと言う。最初は警戒していたものの、やがて中年男と若者は女とともに荒地を旅してゆく。女は何者かを追跡しているようだが、詳しい話は何も説明しようとしない。やがて黒ずくめのガンマン(ジャック・ニコルソン)が合流し、銃で脅しつけると、追跡を急ぐよう強要する。やがて砂漠に入り、旅は一層厳しくなってゆく・・・。


 西部劇らしい派手な撃ち合いは無く、ただひたすらに荒地を旅していくだけのお話である。最後まで旅の目的が明らかにされないので、観客は不安に囚われたままだ。DVDの解説には「不条理テイスト」などと書かれている。しかし、決して難解ではないと思う。ラストのショッキングな放り投げ方はまるでアントニオーニのようだが、振り返って見るならばちゃんとお話の辻褄は合っているし。とは言え、この地味さ加減を見るとコーマン先生のポリシーとは全く相容れないと思われる。インディアンの襲撃も、駅馬車の疾走も、派手な撃ち合いも、開拓者精神もない。もちろんお色気(死語)の見せ場も無い。そんな西部劇をどうやって売っていいものやら。コーマン先生じゃなくとも途方に暮れてしまうだろう。(その後、ヘルマンとコーマン先生は『コックファイター』で決定的に喧嘩別れする事になる)


 ヘルマン本『悪魔を憐れむ詩』のインタビューによると、ヘルマンは別に「反=西部劇」を意識していた訳ではないと語っている。アメリカ映画伝統のジャンルである「西部劇」を解体してやろうとか、そういう意図は無かったと言うのだ。ならば、ヘルマンにとっての「西部劇」とはすなわちこういうものなのだろう。ただひたすらに馬を駆って荒野を旅すること、決して終わることの無い、不安とともにある旅。思えば後の『断絶』も、馬が自動車に変わっただけで、そんな旅の映画だったように思う。


 ここまで説明を廃し、しかも地に足のついた映画として成立するか否かはひとえに主役の格にかかっている。主役は誰あろうウォーレン・オーツだ。多くは語らずとも「どうやら賞金稼ぎだったらしい訳ありの過去」「兄弟の確執」「無能だが憎めない仲間への思いやり」といった背後の物語を一気に滲ませてしまうのだから、さすがは名優である。『シェーン』のジャック・パランス風の黒ずくめスタイルで主人公を脅すガンマンは、若き日のジャック・ニコルソンだ。


 ちなみに原題のTHE SHOOTINGには、銃撃の他に「撮影」の意味もある。ヘルマンの最新作『果てなき路』のクライマックスでは、正にTHE SHOOTING=銃撃/撮影という光景が展開していた。