Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

『ペルディード・ストリート・ステーション』(チャイナ・ミエヴィル)

ペルディード・ストリート・ステーション (上) (ハヤカワ文庫 SF ミ)

ペルディード・ストリート・ステーション (上) (ハヤカワ文庫 SF ミ)


 チャイナ・ミエヴィルのファンタジー巨編『ペルディード・ストリート・ステーション』Perdido Street Station(2000年)読み終える。分厚い文庫本上下巻の大長編で、読み終えるまで丸2ヶ月もかかってしまった。
 

 人間、鳥人〈ガルーダ〉、昆虫人〈ケプリ〉、サボテン人〈カクタシー〉、両生類人〈ヴォジャノーイ〉といった様々な人種が共存する大都市ニュー・クロブゾン。大学を離れ独自の研究に没頭する異端の科学者アイザックの元を、鳥人族〈ガルーダ〉の青年ヤガレクが訪れる。祖国で犯した罪の代償として翼をもぎ取られたヤガレクは、全財産と引き換えに再び飛べるようにして欲しいとアイザックに頼むのだった。アイザックは飛翔の研究材料として、闇ルートを通じて鳥や昆虫など翼を持つあらゆる生き物のサンプルを集め始める。その中に正体不明の幼虫が紛れ込んでいた。ニュー・クロブゾンで流行する麻薬「ドリーム・シット」を餌に急成長したその幼虫は、やがて悪夢を喰らう巨大蛾スレイク・モスとなり飛び去った。住民は次々とスレイク・モスの餌食となり、街はパニックに陥ってゆく。スレイク・モスを解き放った犯人として追われる身となったアイザックは、ヤガレクや仲間たちとともに闘いを繰り広げるが・・・。


 タイトルとして掲げられているのは、クライマックスの舞台となるペルディード・ストリート駅。劇中では人間、鳥人、昆虫人、サボテン人、両生類人といった様々な生き物が行き交う交通の場であり、正にSF・ファンタジー・ホラー・都市小説といった様々なジャンルを横断するこの小説のあり様を象徴する場所と言えるだろう。全編にありとあらゆる奇想がこれでもかとぶち込まれていて飽きさせない。さらに様々な人種の生態、大都市ニュー・クロブゾンの街並みが詳細に描きこまれており、独自の面白さを生み出している。都市や建造物への執拗なこだわりは、近作『都市と都市』(2009年)でも見られたミエヴィルの大きな特色と言えるだろう。


 読み終えるまで時間がかかったのは、実は長いからだけではない。個人的に虫が大の苦手なので、次から次へと奇怪な生物が登場する本作は針のムシロみたいなものであった。面白くて先が気になるのだが、あまりに気色悪くてなかなか読み進められないのであった。特に悪夢を喰らう巨大蛾スレイク・モスのおぞましい描写は、凡百のホラー映画など足元にも及ばない強烈さ。それこそ悪夢に見るのではないかと真剣に怯えてしまった。人間に擬態する巨大カマキリ+ゴキ●リの怪物が登場する映画『ミミック』(ギレルモ・デル・トロ)以来の恐怖であった。怖かったよマジで。


 スレイク・モスが姿を現してからの展開は、ファンタジー・ジャンルの王道を行くパターン(仲間たちが力を結集して怪物退治に乗り出す)を踏襲しているように見える。スレイク・モス退治に協力する面々の個性豊かな顔ぶれは、正にファンタジーならではの楽しさを味合わせてくれる。主人公サイドだけではなく、敵役の政府軍や麻薬王の軍勢もグロテスクな魅力を発散している。ところがミエヴィルは、王道を行くように見せて、ジャンルの常套を巧みに回避しながら話を進めてゆく。例えば、スレイク・モスに立ち向かう面々の動機は「正義の為」「平和の為」などではなく、専ら各自勝手な理由によるもので、最後までその姿勢は変わらない。終章は「審判」と題されており、鳥人ヤガレクへの審判であると同時に、己が欲望のままに他人を踏みにじった登場人物たち全てへの審判が描かれているのだ。故に、登場人物たちの行く末を描いた結末は相当に苦々しく後味も悪い。この辺は好みが別れるところであろうが、個人的にはビターな味わいがいいなあと思う。そもそも主人公からして暑苦しい中年男であり、全編これ「萌え」の感覚とは一切無縁なのもまた良し。


 短編集『ジェイクをさがして』(2005年)、長編『都市と都市』(2009年)、そして今回もハズレなしで大満足。次回作も楽しみだ。