Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

『タンジェリン』『レッド・ロケット』『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』(ショーン・ベイカー)

 ウィレム・デフォーのオスカーノミネート等で話題になった『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』は予告編の印象から興味の対象外という気がして、全くノーチェックだった。早稲田松竹でベイカー監督の旧作と近作が上映されたので、監督の作風も出演者も粗筋も何の予備知識もなく行ってみたら、これが実に手ごたえがあってすっかり気に入ってしまった。

 

 最初に見たのは、今のところの最新作『レッド・ロケット』(2021年)。中年男が陽光を浴びながら自転車を駆るポスターにどんな映画かと思ったら、これが実に酷い話だった。主人公は仕事に行き詰り、文無しで疎遠だった妻の元に戻ってくる。この夫婦は元ポルノ男優と女優のカップル。男は大麻を売りさばきながら小金を稼ぎ、妻ともよりを戻し、田舎町に居場所を見つけていく。しかしピザ屋でバイトする女子高生と仲良くなったことから、男の人生はおかしな方向へと雪崩れ込んでいく・・・。

 田舎の町と住民のリアル感、製油所の威容、そして青姦。一発逆転を狙うにはツメが甘すぎる男の、アメリカン・ニューシネマの湿った挫折感とは一味違う負け犬ぶり。お前の若さの期限はもう切れる寸前だ。気付けよ!と何度も言いたくなった。手ひどいしっぺ返しを受けるのは自業自得だとして、男が周囲に詰められる終盤は田舎ホラー並みの怖さだった。

 常に場当たり的なことしか出来ない主人公の造形、隣人の痛々しい存在感、女たち、田舎町との距離感、性描写など、もしかして日本のピンク映画、もしくはにっかつロマンポルノで同じような映画があったんじゃないかと思った。このジャンルは詳しくないので具体的なタイトルは挙げられないけど。こういうしょうもない男の懲りない生きざまは普遍的だという事なのか。

 

タンジェリン(字幕版)

タンジェリン(字幕版)

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 次に見たのは、全編スマホ撮りだという『タンジェリン』(2015年)。主人公は服役を終えて出所したトランジェスターの娼婦シンディ。親友のアレクサンドラからシンディが服役中に恋人が浮気していたと聞かされて怒り心頭、相手の白人女を探して暴れ回る。

 『レッド・ロケット』は田舎町を自転車で疾走する主人公の姿が印象的に捉えられていた。本作に於いては界隈をズンズン迷わず突き進むシンディの歩行が映画のリズムを決定付けている。映画のサイズ、登場人物との距離の近さに、スマホ撮りの必然性が感じられ、しかもベイカーの映像はメリハリが効いていて痛快だ。

 クライマックスは、深夜のドーナツ・ショップ(そういえば『レッド・ロケット』もアジア人女性がオーナーのドーナツ・ショップが重要な舞台だった)で、痴話喧嘩の修羅場と化す。70年代映画なら血塗れの惨事に発展しそうだが、登場人物たちは気まずい中に生き延びる。シンディとアレクサンドラの和解には胸を撫で下ろした。裸足で連れ回される白人娼婦のしたたかさと哀しみも印象的。

 

 

 

 『タンジェリン』『レッド・ロケット』にとても響くものがあったので、『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』(2017年)も慌ててチェックした。陽光降り注ぎ観光客で賑わうフロリダのディズニー・リゾート。その近くにある安モーテルに住む人々の人間模様を描くシビアなドラマ。『タンジェリン』『レッド・ロケット』同様、底辺の(最底辺ではないが、一歩間違えるとさらに堕ちていきそうな)人々の暮らしぶりを生き生きと描くスタイルは本作も共通している。

 シングルマザーたちそれぞれの生き様が苦い。大人たちが抱える葛藤とは関係なしに、遊び、連帯し、友情を育む子供たち。2人の少女が『大人は判ってくれない』のドワネル少年のごとくどこまでも駆けていくラストは泣ける。安モーテルの管理人を演じるウィレム・デフォーの人間味溢れる名演。敷地内に入り込んだ子供狙いの変質者を誘導し追い払う場面はいつものおっかないデフォーが顔を出す。

 登場人物たちが決裂するきっかけとなる空き家の火事は、その瞬間は省略されて必要以上にスペクタクル化しない節度が効いている。(『レッド・ロケット』に於ける追突事故同様)    

 

 『タンジェリン』『レッド・ロケット』『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』3本とも、ギリギリのライン上で綱渡りのように生きている登場人物たちを描いている。彼らに寄り添ったカメラは、嘘も気まずい失敗も隠さず映し出す。しかしショーン・ベイカーの語り口は明るく、映像は明快で、映画の楽しさに溢れている。次回作が楽しみだ。