Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

『オルフェ』(ジャン・コクトー) 

 

 

 日曜深夜、月曜の仕事の事が気になってなかなか寝付けなかった。何かモノクロのクラシック映画を見たら眠くなるだろうと思い、アマプラでジャン・コクトーの『オルフェ』を見始めのだが、フェティッシュな映像の連続に意識が覚醒してしまい逆効果だった。結局、ほぼ徹夜で出社することになってしまった。何やってんだ俺は。

 

 それはさておき、『オルフェ』(1950年)について。死神に魅入られた詩人オルフェ(ジャン・マレー)が冥界に渡るファンタジーギリシャ神話の翻訳だというが、コスプレではなく現代劇というところがミソ。冥界からの通信をカーラジオで受信したり、死神の手下が黒ずくめのバイカーだったり、冥界への出入り口が鏡だったり、描写がとても面白い。廃墟をガラス売りが徘徊している冥界への道、現世の人間と必要以上の関りを持たぬように審査する議会なんて描写も。冒頭の詩人が集うカフェの様子も面白かった。

 

 逆回しやスローモーション、スクリーン・プロセスといった素朴なトリック撮影が要所要所に使われていて、面白い効果を上げていた。ローテクが映画の雰囲気にとても合っている。それにしても、冥界に行くには手袋が必要という意味ありげな設定は何なんだろう。テラテラ光る手袋の着脱を執拗に何度も繰り返すのでフェティッシュ感が凄かった。元になった神話にそんな描写があるのかな。冥界へ入る際に鏡を水面のように描写するのは、後にカーペンターだったかサム・ライミだったかが引用していた。カーペンターの『パラダイム』だったかな。とか色々考えてたら更に眠れなくなったのだった。馬鹿...。

 

 実はこれまでコクトー作品は『詩人の血』(1930年)しか見たことが無くて、『オルフェ』も全編通してみたのは今回が初めてだった。『詩人の血』は55分間の映像詩と言うべき実験映画。素朴なトリック撮影、誇張された振り付けの演出がとてもユーモラスだった。と言うか、馬鹿馬鹿しいくらいユルいところがあって、何度も笑ってしまった。半裸の男性、少年達の戯れ、テラテラと光る黒人守護天使の肉体など、神話のイメージに託してかなり露骨にセクシャリティーの表出が見られたのが印象的。冥界との交信というテーマは『オルフェ』にも引き継がれている。