Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

『女と男のいる舗道』(ジャン=リュック・ゴダール)

 

 

 少し前になりますが、早稲田松竹にてレイトショー、ジャン=リュック・ゴダール監督『女と男のいる舗道』(1962年)鑑賞。これが実に36年ぶりの再見。

 

 初めて見たゴダール作品は、大学の映研で先輩に連れられて見に行った『ゴダールの探偵』、次に見たのが『女と男のいる舗道』。友人が通っていた某大学に遊びに行って、彼の授業が終わるのを待つ間、図書館の視聴覚ブースのビデオで鑑賞。当時はどう受け止めて良いのからわからず、後半は居眠りしてしまった(ラストの銃声で目が覚めた)。次が高田馬場の二番館で見た『ゴダールのマリア』で、すっかり苦手意識がついてしまった。ゴダールって面白いかも、と思えるようになったのはリバイバル公開された『勝手にしやがれ』『気狂いピエロ』二本立て(有楽町スバル座)見てから。自分にとって決定打は『右側に気を付けろ』で、それ以降は『ゴダール・ソシアリスム』までほぼリアルタイムで。過去作もソフト買ったり借りたりでチェックを続け、90年代後半からゼロ年代前半にかけて60年代ゴダールリバイバルされた時は夢中になって劇場に通いました。『イメージの本』まで通過した今なら、もっと楽しめる筈だろうとレイトショーに足を運びました。

 

 『女と男のいる舗道』はゴダールの長編第4作。同時期の『女は女である』『はなればなれに』のポップさは影を潜め、女優志願の女の転落人生を静謐なタッチで描いている。これがもうアンナ・カリーナを追っているだけであっという間の84分であった。うつむき加減の横顔の何と美しいことか。愛妻を捉えるゴダールの視線はつい熱を帯びて、ジュークボックスの音楽で踊る場面、自分で身長を測る可愛らしい場面にポップ・ゴダールが顔を出す。カフェで哲学者と討論する場面では何故かふとカメラ目線になったりしてドキッとした。

 

 ミシェル・ルグランの悲壮感漂うテーマ曲と残酷な結末。今回は話もきちんと伝わったし、あの時の何倍も楽しめたのは間違いない。再見して良かった。