Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

『脳内ニューヨーク』(チャーリー・カウフマン)

脳内ニューヨーク [DVD]

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脳内ニューヨーク』 SYNECDOCHE, NEW YORK


 監督・脚本/チャーリー・カウフマン
 撮影/フレデリック・エルムズ
 音楽/ジョン・ブライオン
 出演/フィリップ・シーモア・ホフマンサマンサ・モートン、キャスリン・キーナー、ジェニファー・ジェイソン・リー
 (2009年・124分・アメリカ) 


 『マルコヴィッチの穴』『アダプテーション』等で知られる脚本家チャーリー・カウフマンの初監督作品脳内ニューヨーク(2009年)見る。「劇作家が巨大倉庫の中に、自分の頭の中にあるニューヨークを再現しようとするコメディ映画」という紹介文を読んで、これは面白そうだなあと気になっていた。


 実際見てみたら、予想していたものと全然違っていたので仰天した。その昔、陰気な人物を指す「根暗(ネクラ)」という言葉が流行ったけど、久しぶりにその言葉を思い出したよ。こんなに陰気な映画は久しぶりに見たなあ。これのどこがコメディなんだっての。


 主人公の劇作家ケイデン(フィリップ・シーモア・ホフマン)は、仕事に対しても人間関係に対しても煮え切らず、日々悶々としている。何かあるとすぐ内向し、めそめそと泣きだす。映画の前半は主人公の陰気な性格をこれでもかというくらいに描き出す。『マルコヴィッチの穴』や『アダプテーション』は、スパイク・ジョーンズ監督が絶妙なユルさで演出してコメディのように仕上げていたけれど、思い出してみるとあの主人公たちも相当暗かった。カウフマン自ら監督した本作においては、その暗さ、共感を拒むエキセントリックさが全開になっているようだ。


 ケイデンが巨大倉庫の中に自分の頭の中にある世界を再現しようとする後半は面白い。日々肥大化してゆく荘大なセットの中で、集まった俳優たちに「リアルな人生を演じよ」と命じて、延々とリハーサルを続けさせるのだ。ケイデンの過去を再現する俳優たちと、回想シーンが入り混じり、さらに俳優同士が新たな関係を生み出したりして、世界は混沌としたものとなってゆく。ケイデンの誇大妄想が現実化してゆくプロセスは面白いと思った。


 いっこうに上演される見込みの無いリハーサルが何年も続き、ケイデン役を演じる俳優(何故か全く似ていないトム・ヌーナン)が錯乱して投身自殺するなど、脳内ニューヨークは崩壊に近づいてゆく。紆余曲折を経て、やがて年老いたケイデンはテーマ的な台詞に辿り着く。「世の中にはこんなにたくさんの人たちがいるけれど、誰もエキストラなんかじゃない。みんなが主人公なのだ」・・・。こんな手の込んだ事をやっといて、ようやくそんな当たり前の事を把握出来たに留まった主人公の了見の狭さには暗澹たる気持ちにさせられた。


 暗い映画はべつに構わないけれど、本作はどこか残酷さに欠ける気がして嫌だった。ナルシストっぽいというか。さらにはカウフマン自ら早々と「遺作」を作っちゃったみたいな胡散臭さが満点で、興味深くはあるけれど、どうにも好きになれない映画であったなあ。


 主人公ケイデンを演じるのはフィリップ・シーモア・ホフマン。素晴らしい個性を持つ名優だと思うけれど、延々とメソメソした演技を見せられて、さすがに今回ばかりはお腹いっぱい。当分ホフマンの顔は見たくないなあと思ったほど。


 見どころは、豪華な女優のキャスティングだろうか。サマンサ・モートンミシェル・ウィリアムズキャサリン・キーナーエミリー・ワトソンダイアン・ウィーストジェニファー・ジェイソン・リーらクセのある女優がずらりと顔を揃えている。でも、溌剌とした姿ではなくて、いかにも中年女性(というより「初老」と言ってもいい)という感じを執拗に描写しているのが不思議だった。カウフマンの性癖が現われているのか。


 キャスティングで個人的に興味深かった点がひとつ。サマンサ・モートンエミリー・ワトソンって時々どっちがどっちだっけ?と区別がつかなくなる時がある。ぽっちゃりした演技派の英国女優で、どちらも主演作で「無垢の象徴」的な役柄を印象的に演じているせいだろうか。そしたら『脳内ニューヨーク』では、主人公の助手(サマンサ・モートン)の役を再現する女優という役柄でエミリー・ワトソンが登場、ほとんど二人一役みたいな妙な関係性を演じている。もしやカウフマンも「ラース・フォン・トリアーの映画に出てたのはサマンサ・モートンだっけ?エミリー・ワトソンだっけ?」とか言ってたのかなあ。