Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

シドニー・ルメット月間(前半戦)

 3月はシドニー・ルメット月間を実施中。『セルピコ』から始めて、約半月で12本鑑賞。何故今ルメット?と言われそうだけど、その辺はルメット月間が終わったら改めて記載するとして、これまでの感想を簡単に書き記しておきたい。『セルピコ』は3/7の記事をご参照ください。

 

 

『デストラップ/死の罠』(1982年)

 スランプ中のベテラン劇作家(マイケル・ケイン)が、教え子(クリストファー・リーヴ)の新作戯曲を我が物にしようと企むサスペンス・コメディ。物語が二転三転して実に面白い。ミステリーを愛する2人の劇作家が作劇の流儀で対立する話でもある。原作は『ローズマリーの赤ちゃん』のアイラ・レヴィン

 スランプ中の劇作家役はマイケル・ケイン。いつものクールなイメージと違って、新作舞台を酷評されて泥酔したりキレ散らかしたり実に可笑しい。対するクリストファー・リーヴも意外に巧い。ローレンス・オリビエとケインが演技合戦を繰り広げた『探偵/スルース』10年後の姉妹篇の趣も。

 

 

 

『ファミリービジネス』(1989年) 

 泥棒を生業とする親子三代(ショーン・コネリーダスティン・ホフマンマシュー・ブロデリック)の犯罪計画を描くコメディ・・・かと思ったら意外に湿っぽいドラマだった。犯罪計画の顛末より、「父親に反発する息子」という古典的な親子の確執に主眼が置かれている。この生真面目さがルメットなのかな。ウチの親父も昔は無茶な父権を振りかざしてくるのでウンザリしたものだった。長男にとって親父の価値を認めて和解するのはなかなか時間が掛かるものなのだ。とか我が身を振り返りながら見てたら、最後の『ダニー・ボーイ』で泣けてきた。ヴィトー(ダスティン・ホフマン)からすると親父はアイルランド系、お袋はイタリア系、奥さんはユダヤ系と移民都市NYを象徴するような設定になっていて、要所の生活スケッチの面白さも映画の魅力になっている。

 

 

 

オリエント急行殺人事件』(1974年) 

 アガサ・クリスティ原作の名作ミステリーをオールスターキャストで映像化。錚々たるキャストが次々と列車に乗り込んでくる冒頭の高揚感。オーソドックスなミステリー映画の楽しさを満喫できる。探偵ポアロ役はアルバート・フィニー。実は原作未読につき再現度は分からないけれど、見てて不安になるくらいオーバーアクトだったなあ。「あいつが犯人に違いない」と連発するマーティン・バルサム金田一シリーズの加藤武みたいでしたね。他にローレン・バコールイングリッド・バーグマンショーン・コネリーリチャード・ウィドマークアンソニー・パーキンスジャクリーン・ビセットほか、華やかな顔ぶれ。

 

 

 

『評決』(1982年) 

 酒浸りの落ちぶれた弁護士(ポール・ニューマン)が、再起を賭けて医療ミス裁判に挑む。劇中に「正義を切に願う祈り」という台詞があるけれど、そんな愚直なまでに真っ直ぐな姿勢とセカンドチャンスへの希望が、これぞアメリカ映画という良さを感じさせる。

 本作は学生時代に名画座で見て以来の再見。当時も感動したけど、年取った今の目で見ると更に感慨深いものがあった。何と言ってもよれよれのポール・ニューマンが素晴らしい。泥酔しての荒れっぷり。ピンボール。生卵入りのビール。淡々とした最終弁論。鳴り続ける電話の余韻。これは泣く。脚本はデヴィッド・マメット。お、またデ・パルマとの共通点が。

 

 

 

『ネットワーク』(1976年) 

 視聴率を稼ぐ為なら手段を厭わないTV業界、メディアの恐ろしさを風刺したブラック・コメディ。ルメットの真面目さが災いしたか、TV業界での嫌な経験から実感がこもり過ぎたのか、今ひとつ演出にキレが無く冗長な印象だった。ちょっとクドいというか。誇張されたキャラクター、出演者のオーバーアクトばかりが目について辛かった。風刺コメディとしては失敗作だと思うけど、キャリア終盤に入ったサラリーマンが仕事を奪われそうになって錯乱するドラマとして見ると苦々しい面白さがある。昔の手柄話ばかりする上役とかどの業界にもいそうな感じで。

 

 

 

十二人の怒れる男』(1957年)

 ある殺人事件の裁判を巡って12人の陪審員が白熱の議論を戦わせるディスカッション・ドラマ。俳優たちのアンサンブルをまとめあげる手腕、画面構成の緻密さなどデビュー作とは思えぬ切れ味。先に再見した時はヘンリー・フォンダが最初から堂々とし過ぎているのに違和感があった。再度見直してみると、あの役柄に託す強い思いがあったのだなと納得できた。あの真っ直ぐな人物像は、後年の『セルピコ』の原型であり、『評決』でより人間臭いキャラクターとして結実するのだなと。     

 初見は中学生の頃で、TVの吹替洋画劇場(水曜ロードショー)で見た。当時俳優の名前なんてほとんど知らなかったので、ヘンリー・フォンダ以外はノースターという記憶だったが、改めて見るとリー・J・コッブ、マーティン・バルサムジャック・ウォーデン、ロバート・ウェッバーと十分に濃い顔ぶれだった。

 

 

 

『ウィズ』 (1978年) 

 モータウン製作によるオール黒人キャストのミュージカル版『オズの魔法使い』。主演ダイアナ・ロス。舞台はニューヨーク、主人公ドロシーは大人の女性に変更されている。 ニューヨークの実景に特撮を交えて異世界を構築するという面白い試み。なんだけど、さすがにミュージカルはルメット向きではなかったようで、ちょっと映像がクール過ぎるというか、歌と踊りの躍動感や楽しさをいまひとつ捉えきれていないような印象だった。カカシ役は若き日のマイケル・ジャクソン。妙なメイクで顔もよく見えないながら、溌剌とした魅力を発揮していた。

 

 

 

『Q&A』(1990年) 

 ルメット本領発揮の社会派サスペンス。正義感に燃える新米検事補(ティモシー・ハットン)、裏の顔を持つベテラン刑事(ニック・ノルティ)、事情を知る麻薬ディーラー(アーマンド・アサンテ)がそれぞれの立場でぶつかり合う。ルメットお得意の警察内部告発ものであり、『セルピコ』のような実録調ではなく娯楽サスペンス寄りの作風で堅苦しさは無い。登場人物たちが持つ人種・民族間の差別意識が要所で描かれて緊張感を醸し出していた。

 ニック・ノルティがエルロイの小説から抜け出てきたような暴力刑事を怪演。『ファミリービジネス』ではダスティン・ホフマンにボコられていたルイス・ガスマンが本作ではとてもいい役だったの嬉しかったな。調べたらガスマンは『ファミリービジネス』『Q&A』『ギルティ/罪深き罪』とルメット作品に三本も出てる。何気に常連か。

 

 

 

『未知への飛行』(1964年) 

 核戦争の危機を描いた緊迫のポリティカル・サスペンス。同様の物語を風刺劇として描いたキューブリックの『博士の異常な愛情』と対をなす。闘牛の悪夢、大使の電話が途切れた時のキィーンという電子音は強烈なインパクト。

 苦渋の決断を迫られる大統領ヘンリー・フォンダ、通訳ラリー・ハグマン、タカ派政治学ウォルター・マッソー。ほとんど限定空間の会話劇にも関わらず、キャスト迫真の演技と緻密な画面構成でサスペンスが盛り上がる。結末の絶望感には打ちのめされた。

 

 

 

ショーン・コネリー/盗聴作戦』(1971年) 

 クインシー・ジョーンズの軽快な音楽に乗って、金庫破りコネリーが個性的な仲間たちと犯罪計画を実行する典型的なケイパー(強盗)ムービー。なんだけど、本筋にあまり関係なく常に登場人物たちが監視、盗聴されているという奇妙な作品だった。邦題からコネリーが盗聴を仕掛けるスパイ映画的なものを想像していたら、コネリーは監視、盗聴される側で、犯罪計画の打ち合わせからピロートークまで録音される。しかもその描写が犯罪計画の顛末には直接関係ないという異様な映画だった。何だろうなこれは。本作は『コールガール』と同じ1971年作。『カンバセーション...盗聴』が1974年、『大統領の陰謀』は1976年か。本作もまた70年代前半のアメリカの空気を反映した作品なのかな。

 それはさておき、ゲイの骨董屋マーティン・バルサムの可愛さ、若きクリストファー・ウォーケンの美青年ぶりも見どころだ。

 

 

 

プリンス・オブ・シティ』(1981年) 

 賄賂や横領が蔓延るNY市警で内部告発者となった捜査官(トリート・ウィリアムズ)の苦悩を描くサスペンス。『セルピコ』を汚職警官の1人の目線で丁寧に語り直したような力作で、168分の長尺全編に緊張感が漲る後期ルメットの代表作だ。

 正義感と仲間意識の狭間で苦悩するトリート・ウィリアムズ。土砂降りの深夜に薬を探し回る徒労感、迷い犬のような表情が印象的。登場する汚職警官たちの顔つきやファッションと薄汚れた界隈のロケーションがマッチして、刑事ドラマとしての醍醐味も十分味わえる。

 

 

 駆け足で振り返ってみました。『評決』『未知への飛行』『プリンス・オブ・シティ』等、ヘヴィな手応えの傑作がずらりと並んで壮観だ。残り二週間で何本見られるかな。