今年読んだ本で、まだブログに書いていなかったものをまとめて書き記しておきます。
『モーテル・クロニクルズ』『鷹の月』(サム・シェパード)
劇作家・俳優として知られるサム・シェパード。『鷹の月』(1973年)はシェパードが20代の頃の詩や散文を収録。田舎町のスケッチ、カウボーイ、ロックンロール、砂漠、等々、若きシェパードが吐き散らす言葉たちは映画の断片のようだ。異色だったのが『バスター・キートンの脱走』。これはキートン讃歌で、シェパードは、キートンが物語の要請を超えて純粋な「走る男」となる瞬間を上手く描写している。「顔は体などおかまいなしで、体は顔などおかまいなしで、それで彼は脱走する。その脱走ぶりには、うっとりさせられる。なかでも感心するのは、彼が捕まる心配をしていないこと。」
『モーテル・クロニクルズ』(1982年)はヴェンダース『パリ、テキサス』にインスピレーションを与えたことで知られる一冊。詩と散文。中では砂漠に一人で住んでいる父親の元を訪ねたエピソードが印象的だった。年老いた父親は家の壁中に雑誌から切り抜いた写真を貼っている。父親顔つき(恐らくシェパードにそっくりな)、部屋の様子が目に見えるようだった。
『スクイズ・プレー』(ポール・ベンジャミン)
ポール・オースターが別名で発表したミステリー小説で、実質のデビュー作(1982年)。これが驚くほど真っ当なハードボイルド・ミステリーで、しかも抜群に出来が良い。主人公の探偵マックス・クラインが危機に陥っても軽口(ワイズクラックと言うのだな)を叩き続けるのがいい。殴られて意識を失う、地に這いつくばる、最後は意地を通して独り身を貫く、これこれ、こういうの読みたかったんですよ。
本作は探偵もののディテールと、ニューヨークの街と住人たちを生き生きと描くオースターらしさが見事に融合している。息子と野球観戦する場面やタクシー運転手との会話など後年のオースターそのもの。ここから変種の探偵小説であったニューヨーク三部作(『シティ・オブ・グラス』『幽霊たち』『鍵のかかった部屋』)に発展したかと思うと実に興味深い。
『極北』(マーセル・セロー)
極寒の地を旅する紀行文のようなものを想像していたら、マッカーシー『ザ・ロード』のごとき終末世界でのサバイバルを描いたSFだった。主人公は女性。描写はリアルで熾烈を極める。終盤に僅かな光があるとは言え、かなり気分が落ち込んでしまった。訳者あとがきで、村上春樹は「本書の読者は3.11震災と原発事故を連想するだろう」と記している(翻訳出版は2012年)。現在の目で見ると、ウクライナの事、兵士たち、捕虜として連れ去られた人たちの事を考えてしまう。辛い。
『チョコレート・アンダーグラウンド』(アレックス・シアラー)
娘に面白いから絶対に読めと薦められた児童文学。法律でチョコレートが禁じられた社会を描く一種のディストピア小説。反旗を翻す少年たちの戦いが熱い。もぐり酒場ならぬ地下チョコレート・バーを作ったりするのだ。確かにこれは面白い。
児童文学だから、最後は無事に無血革命が成功してハッピーエンド。でも甘味を取り締まる組織の陰湿さや、密告屋の少年が抱える苦悩などがきちんと描かれているので、読後は意外に重いものが残る。調べたらアニメ化されてたりして、人気の作品なんだな。
『猫とともに去りぬ』(ジャンニ・ロダーリ)
イタリア児童文学作家ロダーリの短編集(1973年)。ちょっと皮肉っぽいファンタジー世界が展開。表題作は、家出した老人が猫に変身して溜まり場に行くと、猫たちの半分はドロップアウトした元人間だったというお話。『お喋り人形』は女の子の遊びはこれという決めつけへの異議申し立てで、とても現代的なテーマだと思う。荒野をピアノと旅するカウボーイのお話『ピアノ・ビルと消えたかかし』もいい。危機に陥ると銃を撃つ代わりにピアノを弾くのだ。
(この項続く)