アリエル・S・ウィンター『自堕落な凶器』The Twenty-Year Death読了。文庫上下巻の長編ミステリーで、三つの異なるテイストの中篇から構成されています。しかもそれぞれが異なる作家のパスティーシュ(模倣芸術)となっているという凝った作りの小説です。
第一部は「マルニヴォー監獄」。時は1931年、舞台はフランスの田舎町。土砂降りの夜に路地で発見された死体は、監獄に収容されているはずの囚人であった。ペルテ警部の調査により、監獄から複数の囚人が失踪を遂げていることが判明する。閉ざされた監獄内で何が起こっているのか・・・。第一部は「メグレ警視」シリーズで知られるジョルジュ・シムノンの文体で描かれています。個人的にはシムノンには馴染みがないので、どれ程パスティーシュが成功しているのかは分かりませんが、三部作の中ではこれが一番面白かった。主人公ペルテ警部の親しみやすいキャラクター、田舎町の風景や住人たち、閉ざされた監獄の様子などがムードたっぷりに描かれています。
第二部は「フォーリング・スター」。時は1941年、舞台はハリウッド。ストーキング被害を訴える人気女優の警護に雇われた私立探偵フォスターが、新人女優の殺人事件に巻き込まれる。事件の裏には、映画業界の大物の存在があった・・・。第二部はレイモンド・チャンドラーの文体で描かれています。主人公のフォスター探偵がフィリップ・マーロウよろしく周囲に辛辣なコメントを発しつつ、ハリウッドの裏通りを駆け抜けます。それらしいムードが上手く再現されていて、これもなかなか面白い。背景となるのが黄金時代のハリウッドという美味しい設定なんですが、既存の映画に対する言及はほとんどなかったですね。
第三部は「墓場の刑事」。時は1951年、舞台はアメリカ。今はヒモに落ちぶれたかつての人気作家が、別れた妻の遺産相続をめぐり、泥沼の事態にはまり込んでいく・・・。第三部は近年日本でも再評価が著しいノワール作家ジム・トンプスンの文体で描かれています。どん底に落ち込んで暴走する男の話はなるほどトンプスンぽいし、文体も上手いこと模倣していますが、何かが違うという違和感が拭えませんでした。思うに、「墓場の刑事」の主人公ってダメ男が自業自得でジタバタあがいているようにしか見えないんですが、トンプスンの主人公ってそうじゃないですよね。単なるダメ男では、トンプスン作品の魅力である純度の高い狂気を味わえないと思うんです。
結局、作者は凝った構成、凝った文体で何を語ろうとしたのでしょうか。本書の原題はThe Twenty-Year Death、20年の死とは何のことでしょうか。三篇に共通して登場するのが、第三部の主人公となる作家とその妻です。つまり本書はある夫婦の20年間を描いている訳です。血なまぐさい事件に巻き込まれながらも、愛を貫くある夫婦の物語?いや、そんなんじゃないですよね。作家である夫のプライドやモラル、そして才能が20年かけて死んでゆく様子を描きたかった?これは当たってそうなんですが、ならば何ゆえに最後はトンプスンなのか?
第一部にはハンニバル・レクターのごとくペルテ警部に捜査のヒントを示唆する囚人(児童虐待犯)、第二部には虚構の町ハリウッドの闇に潜む連続切り裂き魔が登場します。が、彼らは脇役であり、物語が彼らにぴったりと寄り添うことはありません。第三部がトンプスンならば、いよいよ彼らの側の物語が語られるべきだったと思います。数多の屍を乗り越えて20年の死を生き延びた怪物のような男の狂気こそを描いて欲しかったなあと。
- 作者: アリエル・S.ウィンター,Ariel S. Winter,鈴木恵
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2014/07/28
- メディア: 文庫
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