Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

読書記録その2 

 今年読んだ本で、まだブログに書いていなかったものをまとめて書き記しておきます。

 

『掃除婦のための手引き書』『すべての月、すべての年』(ルシア・ベルリン)

 作者についてほとんど予備知識ないままに『掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集』を手に取った。何気に読み始めて、予想以上の凄さに動揺した。この観察眼。人々の生々しい息遣い。ここには本物の喜怒哀楽がある。特に刑務所の文章コースが舞台の『さあ土曜日だ』はあまりに良くて、直ぐに読み返した。

 『掃除婦のための手引き書』に衝撃を受けたので、すぐに『すべての月、すべての年 ルシア・ベルリン作品集』も読んでみた。こちらもまた素晴らしい短編が並ぶ。年代も、国も、性別も自分とは全く違うのに、どうしてこうも真っ直ぐ突き刺さってくるのか。訳者あとがきに曰く「情景を最短距離で刻みつける筆致」。正にその通り。表題作など、まるで長編を読み終えたような充実感が残った。

 収録作『野良犬』に「アンジー・ディキンソン主演のSF映画」というのがでてくる。気になって調べてみたところ、『恐怖のSF戦争』(1970年)というTVムービーかと思われる。サングラスを通して宇宙人が見えるというカーペンター『ゼイリブ』のネタ元と言われてる作品らしい。原題THE LOVE WAR。愛の戦争ってどんな映画なんだろう。ルシア・ベルリンぽいタイトルでもある。

 

 

 

『私たち異者は』(スティーヴン・ミルハウザー

 久々に読んだミルハウザーの短編集(2011年)。ミルハウザーってこんな不穏な作風だっけ、と戸惑った。通り魔的な平手打ち事件が郊外の町を不安に陥れる『平手打ち』。表題作『私たち異者は』は幽霊(作中では異者と名乗る)となった語り手と孤独な女性の共同生活が描かれる。ハートウォーミング?いや、黒沢清『回路』の幽霊側から人類を見つめたような、静謐かつ不穏な手触り。

 

 

 

『僕はマゼランと旅した』(スチュアート・ダイベック) 

 シカゴの下町を舞台にした連作短編集(2003年)。初ダイベックだったが、冒頭の『歌』からしてもう最高だった。少年の視点で描かれた『歌』『ブルー・ボーイ』、スコセッシのごとくバイオレントな『胸』、若さとバカさが苦い『蘭』『僕たちはしなかった』等々どれも良い。全編に戦争帰りで精神を病んだサックス奏者レフティの音楽が通奏低音として響く。かつてレフティが奏で人々の記憶に残った音楽、演奏をやめた後も彼の頭の中で鳴り続けている音楽。レフティのエピソード『マイナー・ムード』の孤独な美しさ。

 

 

 

『国のない男』(カート・ヴォネガット

 ヴォネガット晩年のエッセイ集(2005年)。老ヴォネガットアメリカ(と世界)にとことん怒り絶望していて、毒を吐き散らしている。故にこのタイトル。持ち前のユーモアよりも刺々しさを強く感じて戸惑った。わかってるよそんな事はと言いたくもなる事が次から次へと皮肉な物言いで並べ立てられて、ヴォネガット信者ではない自分には少々胃にもたれる。が、そんな風に敢えて言葉にしないとやり切れないくらいの怒りは充分に伝わった。

 

 

(この項続く)