Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

『ラッシュライフ』(伊坂幸太郎)

ラッシュライフ (新潮文庫)

ラッシュライフ (新潮文庫)


 仙台市在住の人気作家、伊坂幸太郎ラッシュライフ(2002年)読む。実は伊坂作品を読むのは初めて。以前から複数の友人に読むよう薦められていたのだけれど、膨大な作品数(まるで90年代の村上龍を思わせるような多作ぶり)に恐れをなして手を出せずにいたのであった。


 『ラッシュライフ』は伊坂氏の3作目。仙台を舞台にした群像劇で、泥棒を生業とする男とかつての同級生/リストラされた男と野良犬/新興宗教の教祖に心酔する青年と先輩/不倫相手の妻を殺害しようと画策する女性カウンセラー/美術界の顔役と新進の画家、という5組の物語が同時に進行してゆく。


 凝った構成、絵画や音楽や映画の多彩な引用、洒落た会話・・・。成る程これが人気作家の作風かと納得した。大勢の登場人物をきちんと描き分け、凝った構成の物語を混乱することなくさらりと読ませる伊坂氏の筆力は大したものだなあと感心させられた。特に、黒澤という泥棒のエピソードは軽妙な魅力があって本作の最も面白い部分だと思う。クリストファー・ノーランの『フォロウイング』に似たエピソードが出てきてニヤリとさせられたり。


 面白かったんだけど、いくつか思うところがあったので書き記しておきたい。


 『ラッシュライフ』は仙台が舞台になっている。仙台在住の身からすると、各シーンがイメージしやすいという良さはあるけれど、仙台である必然性みたいなものはあまり感じられなかった。これでは他の地方都市が舞台でも大して変わりはないだろう。もっと仙台が舞台という必然性や仙台の魅力が描かれていたならなあと思った。


 『ラッシュライフ』はマルチ・プロット(複数のエピソードが同時に進行してゆくスタイル)の手法で描かれている。読み進めていくうちに「AとBの物語がこうやって繋がっていたのか」と判明する面白さこそが本作の肝だ。上手いなあとは思うけれど、いささか収まりが良すぎて、何やら辻褄合わせに終始するような息苦しさを感じさせるものであった。


 マルチ・プロットの名手といえば映画監督のロバート・アルトマンだ。代表作『ナッシュビル』では、ナッシュビルで行なわれる大統領候補のキャンペーン大会(カントリー&ウエスタンのコンサート)に向けて様々な人々のドラマが同時に進行して行く。アルトマンはクライマックスのコンサートの大混乱を通して、そこに居合わせた人々の数多あるドラマを示唆し、その上70年代アメリカの不穏な空気までも描いてみせた。『ナッシュビル』はマルチ・プロットの手法なくしては成立しないという強烈な説得力を感じさせるものであった。映画と小説という違いはあれ、『ラッシュライフ』にはマルチ・プロットならではの世界の広がりみたいなものは感じられない。マルチ・プロットの活用と言っても、時勢ズラシ技等むしろタランティーノに近いかもしれない。


 『ラッシュライフ』は、背景にバラバラ殺人や新興宗教の教祖暗殺といった派手なエピソードを散りばめているにも関わらず、ほとんど事件性のない形で終りを迎える。別に肩透かしとは思わないし、「エンターテイメント小説」として作者の節度を感じさせる部分でもあるけれど、ドラマに血生臭い部分、闇を感じさせる部分を提示しながらも深入りせずにさらりと流してしまうのには物足りなさを覚えた。リストラされた中年男が意地を見せるラストが爽やかな感動を呼ぶだけに、余計ひっかかるというか。


 読み終えた後、もし5組の登場人物たちが、3.11の地震を迎えたらどうなっただろうか・・・と勝手に妄想した。思えば、アルトマン後期の『ショート・カッツ』(レイモンド・カーヴァーの短編小説を繋ぎ合せてマルチ・プロットに構成した映画)のクライマックスは、ロサンゼルスを襲う地震だった。伊坂氏が仙台にこだわるならば、震災、もしくは震災後の世界は避けて通れない筈だ。今後の作品で伊坂氏がそれを描くならば、何をおいても読んでみたいと思う。