Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

『仙台ぐらし』(伊坂幸太郎)

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 仙台在住の人気作家、伊坂幸太郎氏のエッセイ集『仙台ぐらし』読む。仙台の出版社・荒蝦夷より刊行されたもので、地元誌「仙台学」に寄稿したエッセイと、書き下ろしの短編小説が掲載されている。原稿が書かれた時期は2005年から2012年までの7年間。伊坂氏はあとがきで、震災本として一括りにされるのは本意では無いというような事を書いている。そんな本人の思いはさておき、私が本書を手に取った理由は正にそこにあった。伊坂氏が震災についてどのような思いを抱いているか、ということこそが興味の焦点であった。


 震災前のエッセイは、タクシーや喫茶店や温泉でのエピソード、自作の映画化について等々、軽いタッチのものがほとんどだ。伊坂氏はもともと地元民ではない(千葉県松戸市出身)ので、仙台に対してはフラットな視線を注いでいる。私は仕事の関係で仙台に引っ越して来て5年になるけれど、同じ東北出身とは言え元々仙台の地元民では無い。だから「タクシーが多すぎる」「店が無くなってゆく(特に喫茶店、本屋、CDショップ)」なんていうエッセイにはとても共感出来た。


 震災後に書かれたエッセイでも、氏の軽いタッチ(悪い意味ではなくて、等身大ということ)は変わらない。外壁修理の為にシートが被せられた仙台駅の様子を見て、骨折したときに巻いた包帯と重ね合わせて「いつか骨はつながる」と書き記したり。本書に掲載されたエッセイを続けて読むと、震災前/震災後の仙台市の空気の変化みたいなものが確かに浮かび上がってくる。


 注目すべきは「震災のこと」(2011.8.1)というエッセイだ。伊坂氏は喫茶店でファンに声を掛けられたのをきっかけに「フィクションにも価値があるのではないか」と思えるようになったという。そして、作家として「僕は、楽しい話を書きたい」と書き記している。表現者なら誰しもどう震災と向き合うべきか考えざるを得なかったと思うが、これは極めてシンプルな決意表明ではないか。「楽しい話」とは様々な受け取り方が出来るけれど、要するにエンターテインメントという事だろう。伊坂氏の考える「楽しい話」(=エンターテインメント)とはどういうものなのだろう。


 本書を読んで思ったのは、伊坂氏の基本的な発想(作劇)方法は「日常に物語性を導入する」ということなのかなと。伊坂氏の小説は『ラッシュライフ』しか読んだことが無いので(映画は『アヒルと鴨のコインロッカー』『ゴールデンスランバー』を見た)断言は出来ないけれど、これらの作品や、本書に収められたエッセイ、短編小説を見てそんな風な印象を受けた。AとBという一見何の繋がりも無いような出来事に、関連性を読みとること。伊坂氏は、仙台での生活についてのエッセイを連載するに当たって、「作り話」を交えて書こうとしたという。日常生活を綴るエッセイに「作り話を交えて」?と思うけれど、これもまた物語性の導入と言うことではないか。書き下ろし短編『ブックモビール』は、被災地をゆく移動図書館の話。訳ありのボランティア2人組を描いた短いお話の中に、過剰なくらい物語性の高い要素が詰め込まれている。伊坂氏の考える「楽しい話」(=エンターテインメント)とはそうしたものなのだろう。


 個人的には、そんな伊坂氏の作劇にはちょっと違和感を覚えるところもある。まあこれは単に好みの問題だと思うけれど。好みの問題と言えば、映画の趣味はちょっと違うかも。だってマイケル・マンの『コラテラル』ってさあ・・・。