Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

『グレンとグレンダ』(エドワード・デイヴィス・ウッドJr.)


『グレンとグレンダ』 Glen or Glenda


 監督・脚本/エドワード・デイヴィス・ウッドJr.
 音楽/ウィリアム・ラヴァ
 撮影/ウィリアム・C・トンプソン
 出演/エドワード・デイヴィス・ウッドJr.、ベラ・ルゴシ、ドロレス・フラー、ライル・タルボット
 (1953年・65分・アメリカ)


 「史上最低の映画監督」として名高いエド・ウッドの長編デビュー作『グレンとグレンダ』エド・ウッドといえばティム・バートンの伝記映画『エド・ウッド』で、ジョニー・デップが嬉々として演じていたのを記憶している人も多かろう。


 時は1950年代、性転換手術が新聞で大きな話題となっていた頃。女装趣味の男が自殺し、担当した刑事は事件への理解を深める為に精神科医の元を訪れる。精神科医は、ある服装倒錯者の例を説明する。服装倒錯者グレン(エド・ウッド)は女装し「グレンダ」として街を歩き回るのが好きだったが、婚約者(ドロレス・フラー)に自らの趣味を打ち明けることが出来ず悩んでいた・・・。


 伝記映画に描かれていたように、エド・ウッドは実際に女装趣味があった(ただしゲイではない)。本作はエドが映画を通して女装趣味をカミング・アウトしたというか、半自叙伝みたいなものなのだろう。伝記映画でエドを演じたジョニー・デップに比べると、本人は随分とゴッツいおっさんなんで女装姿の違和感はさらに凄いものがある。


 さすが「史上最悪の映画監督」として名高い人物らしく、本作はほとんど劇映画の体を成していない。物凄く凡庸なドラマ部分と、ベラ・ルゴシの演じる狂言回し(クレジットは「科学者」)がカメラに向かって意味ありげな神託を述べるシーンと、主人公が見る悪夢のシーンと、後で挿入されたと思しきSMシーンと、さらにドキュメンタリー風のショット(暴走するバイソンの記録映像など)が脈絡の無い構成で編集されている。でも、実際のところ本作を見てもそんな不快な印象は無い。大事なのは、エドは別にふざけてこういうアバンギャルドな映画を作ったのではないだろうということだ。エドは正に自分の出来る精一杯の表現を試みたのだ(「天然」という言い方もある)。映像表現の稚拙さを超えて、エド自身の魂の叫びみたいなものはちゃんと伝わってくる。魂の叫びっていっても「女装趣味を認めてもらいたい」ってことなんだけど。正直言ってこれより酷い映画なんていくらでもあると思うなあ。


 本作の音楽はオールドハリウッド調の流麗なもので、貧相な画面やアバンギャルドな編集といかにもミスマッチでユーモラスな効果を生んでいる。もしもこの音楽を、寒風吹きすさぶ中立ち尽くしているかのような武満徹のおっかない曲に差し替えてみたらどうだろう。または、音楽も台詞も全て消し去り、全く無音の状態で真夜中に一人で鑑賞したらどうだろう。『リング』の呪いのヴィデオみたいに見えないだろうか・・・。いやいやまさかね。ふとそう思っただけです。


エド・ウッド [DVD]

エド・ウッド [DVD]