Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

『秋津温泉』(吉田喜重)

秋津温泉 [DVD]

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『秋津温泉』


 監督・脚本/吉田喜重
 撮影/成島東一郎
 音楽/林光
 出演/岡田茉莉子長門裕之芳村真理、日高澄子、宇野重吉
 (1962年・112分・日本)


 吉田喜重監督、岡田茉莉子主演『秋津温泉』見る。「岡田茉莉子 出演100本記念作品」と銘打たれており、彼女がプロデュース、衣装も手掛けている。先日『女優 岡田茉莉子』を読んで、まずはこれを見なければなるまいと思っていた。


 時は第二次大戦中。胸を病んで岡山の秋津温泉にやって来た周作(長門裕之)は、温泉旅館「秋津荘」の娘・新子(岡田茉莉子)に介抱される。死を覚悟していた周作は、新子との交流を通じて「生きよう」と決意する。それから三年後、作家を目指す周作は生活に行き詰まり、再び秋津にやって来て、新子に心中しようと頼むのだが・・・。


 四季折々の秋津温泉を捉えた撮影が素晴らしい。山道や渓谷といった自然風景、温泉宿の佇まい、画面の人物のサイズ、等々、端正な画面構成は映画を見る醍醐味を味あわせてくれる。音楽(林光)も良いけれど、個人的な好みからするとちょっと過剰に流れ過ぎなかあと思った。


 物語は、主人公の男女の出会いから破滅に至る17年間を丹念に描いている。くっついたり離れたりはメロドラマのお約束(様式美)なので別に気にならなかったが、主人公男女のキャラクター造型についてはいささか違和感を覚えた。吉田監督は主人公たちの悲恋に対し思い入れてないのか、男女どちらに対しても適度な距離を置いて演出している。舞台となる「秋津温泉」という場所が、男にとっては安息の場(逃避する先)であり、女にとっては縛り付けられた生活の場(逃げ出したい場所)であるというすれ違い。心中を願っていた男が結局は裏切り、生を謳っていた女が心中を願うようになる。17年という歳月を経た、男女の関係性の変化。そういった図式はきちんと伝わってくるものの、監督と登場人物の距離感が感じられるだけに、こちらも見ていていまひとつ感情移入出来ないもどかしさを感じた。


 特に長門裕之演じる周作は、相当にだらしない人物で感情移入が難しい。日常に膿むと、またぞろ「またおめおめと秋津か」とか言いながら秋津温泉へと逃避するこの男。ラストだって医者呼びに走れよ!ってなもんで。陽性のキャラクターである長門が演じていることもあり、存在にいまひとつ重みが感じられないのだ。見ていてどうしてもこの男を好きになれず、一挙一動にイライラしてしまった。吉田監督もこの人物に肩入れすることなく相当に突き放して描いている。例えば神代辰巳の映画ならば、男の情けなさ、だらしなさが愛しく輝いたかもしれないが。


 男が精彩を欠くものだから、ヒロインの新子も何だか気の毒なばかりであった。そんなにダメ男に思い入れてどうするのと思ってしまった。事を済ませたらさっさと帰りたい男を追ってバスに乗り込み、引き止める姿は「重いなあ」と思う。もしや元祖だめんずか。


 さておき、『秋津温泉』は主演の岡田茉莉子を見ているだけで充分満足できる映画であった。前半の溌剌とした姿、後半の暗く張り詰めた表情、ともに輝くばかりの美しさだ。それにしても、当時29歳で「出演100本記念作品」なのだから、いかに日本映画(撮影所)の黄金時代とはいえ凄いなあと思う。近年の映画俳優で「100本記念」なんて哀川翔くらいしか聞いたことないもんなあ。