Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

『女優 岡田茉莉子』(岡田茉莉子)

女優 岡田茉莉子

女優 岡田茉莉子


 先週のこと。所用あって上京した折、移動中に読むものを買おうと仙台駅構内の本屋に立ち寄った。そこで発見したのが岡田茉莉子の自伝だった。小津の『秋日和』で見せた溌剌とした姿が印象的だったので、その頃のエピソードが載ってるかもと思い手に取ってみた。


 本書は映画、舞台、TVと常に第一線で活動を続けている岡田茉莉子が自らの半生を回顧した書き下ろし自伝。彼女は1951年に成瀬巳喜男監督作品『舞姫』で映画デビュー。小津安二郎木下恵介渋谷実中村登等、日本映画黄金時代の名監督の作品に数多く出演。やがて『秋津温泉』を監督した吉田喜重と結婚。『エロス+虐殺』『告白的女優論』等、吉田監督作品の主演女優として数々の名演を残している。父親は戦前の美男俳優・岡田時彦、母親は元宝塚俳優で、芸名の名付け親はかの文豪・谷崎潤一郎なのだという。


 東宝、松竹、そして独立プロ、70年代以降は角川映画人間の証明』、伊丹十三作品、近作では青山真治作品まで、戦後日本映画史とともに歩んだその膨大なフィルモグラフィーは圧巻。名監督や有名スターが次から次へと登場し、撮影現場の興味深いエピソードが披露されてゆく。時に辛口のコメントを交えた率直な語り口はとても面白く、映画好きには堪えられない読み物となっている。
 

 面白いのは撮影現場のエピソードだけではない。幼少の頃、町の写真館に飾られていた黒尽くめの自分の写真が気に入らず、避けて通っていた話(その写真がまた良いのだ)。戦時中、上海から引き揚げる船が魚雷の攻撃を受けた話。父親を知らずに育った彼女が、偶然映画館で見た『滝の白糸』(溝口健二)で銀幕上の父親と出会った話。吉田監督とともに病床の小津監督を見舞い、「映画はドラマだ。アクシデントではない」と謎の言葉を伝えられた話。精神的に不安定になった夫から、家中の刃物を目に付かないところに隠してくれと頼まれた話・・・。等々、ドラマティックなエピソードが、それこそまるで映画の名場面のごとく生き生きと綴られている。


 読みたかった小津映画に出た頃の話もたっぷりと語られていて嬉しかった。小津監督は、彼女の父である岡田時彦と同い年であり、彼の主演作を何本も撮った盟友であった。小津監督は彼女をコメディ・リリーフとして巧みに生かし、プライベートでは彼女を伴ってダンスホールなどに通ったという。彼女が小津監督と踊りながら、父親を想う場面は感動的だ。彼女が酔って小津監督に「4番バッターの俳優は誰ですか」と尋ねたところ「杉村春子だ」と答えたという話も興味深かった。


 正直のところ、吉田喜重監督についてはあまり詳しくない。学生時代に封切りで見た『嵐が丘』から「何だか重苦しくて面倒臭そうな監督」という印象を受け、敬遠していたのだった。岡田茉莉子とのコンビ作も未見である。本書を読んだら俄然興味を持ったので、すぐにでもチェックしてみようと思った。まずは何をおいても『秋津温泉』であろうか。


 ここから先は極めて個人的な話。東京へと向かう新幹線の中で本書を読み耽ったのは5月10日。この生涯忘れ得ぬ日に、何故か『女優 岡田茉莉子』という本を手に取った事は、単なる偶然とは思えない。ってこれだけじゃ何の事か分かりませんね。でも個人的にとても大事な出来事なんで書き記しておきます。