Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

『緑の影、白い鯨』(レイ・ブラッドベリ)

緑の影、白い鯨

緑の影、白い鯨


 先日亡くなったレイ・ブラッドベリ『緑の影、白い鯨』GREEN SHADOWS, WHITE WHALE 読む。『白鯨』映画化で脚本家として指名されたブラッドベリは、監督のジョン・ヒューストンが住むアイルランドへと赴く。そこでエイハブ船長のごとき暴君ヒューストンを相手に苦闘する姿と、愛すべきアイルランドの人々との交流を描いた自伝的小説だ。翻訳を担当した川本三郎氏の解説によると、50年代アメリカを席巻した赤狩りに嫌気がさしたヒューストンは、ハリウッドを離れアイルランドに移り住んでいたのだという。


 ジョン・ヒューストンは『マルタの鷹』『アフリカの女王』『黄金』といったハンフリー・ボガート主演の活劇で知られ、後年も『王になろうとした男』『勝利への脱出』等男っぽい映画を撮り続けた人物。川本氏の解説に曰く「知的でありながらマッチョでもある」「ボガートよりボガート的」「ヘミングウェイよりヘミングウェイ的」な人物だ。妻に対する横暴な態度や、ブラッドベリを「HG」(SF作家だからHGウェルズ呼ばわり)だの「若いの」だのと軽くあしらう姿は、俳優として出演した『チャイナタウン』の役柄そのままの雰囲気。ヒューストンをモデルにした映画『ホワイトハンター・ブラックハート』では、撮影そっちのけで象狩りに熱中して周囲を振り回す映画監督が主人公であった。本書でも脚本の打合せはほどほどに狩りや乗馬に出掛けてゆくヒューストンが描かれている。若きブラッドベリは暴君ヒューストン相手になすすべもなく振り回されるばかりで、パーティの席でからかわれて泣かされたりする。ブラッドベリはよくぞ最後まで執筆をやり遂げたと思う。


 本書は単なる『白鯨』のメイキング本というだけではない。ブラッドベリは過去の短編の中から、アイルランドを舞台にしたものに手を加えて本作に織り込んでいる。いわばブラッドベリの「緑の影」の地アイルランドに対する思いを集大成した一冊となっているのだ。執筆に行き詰まるとブラッドベリはホテルを出て、パブに向かう。そこには現地の男たちが集い、夜な夜な酒宴を繰り広げている。何とも大らかでユーモラスなアイルランド人たちの人柄が、暴君ヒューストンの困難な要求に疲弊した若きブラッドベリを温かく癒してくれたのであろう。


 ブラッドベリが『白鯨』の脚本に関わったのは1953年、本書が出版されたのは1992年。この間39年もの歳月が流れている。ヒューストンのしごきがトラウマになって、小説として消化するまで39年もかかってしまったのか・・・。と思ったら、第23章を読んで納得してしまった。ブラッドベリは不思議な物乞いとの約束を律儀に守っていたのだ。


「このことは、ひとことも書かないよ。これから30年、いやもっと先も」「他言無用だよ」「絶対に」