Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

『ハーモニー』(伊藤計劃)

ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)

ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)


 伊藤計劃『ハーモニー』(2008年)読む。文庫の帯には「日本のSFは、世界に通用する。フィリップ・K・ディック賞 特別賞受賞」との紹介文が。フィリップ・K・ディック賞って何なのと思ったら、アメリカでペーパーバック発刊されたSF小説を対象とした賞だという。読んで納得。緻密な構成力、切実な問題意識、SFならではの手法で直裁に現実へと切り込む姿勢。そして勿論、意外性に富んだ物語の面白さ。成る程、これなら世界で通用すると思う。真面目な話。


 21世紀初頭、後に「大災禍(ザ・メイルストロム)」と呼ばれる全世界的な騒乱が発生し、アメリカ本土を含む各地で核兵器が使用された。「大災禍」が収束した後、従来の国家政府に変わって世界的な医療共同体<生府>が誕生し、高度な福祉医療社会が構築された。人々は医療ネットワークを通じて<生府>と繋がり、心身の健康を管理されている・・・という設定。


 医療の発達と健康監視システムの構築により、ほぼ病気が駆逐された近未来。人々は体内にWatchMe というソフトを埋め込んでおり、心身に異常があるとネットワークを通じて自動的に情報が発信され、<生府>によって治療やカウンセリングが行われる。一見素晴らしいユートピアにも思えるけれど、酒や煙草は勿論、健康に悪影響を及ぼしそうなものは全て生活から排除された窮屈な世界である。しかも各人が自分のデータを常にオープンにしていて、お互いに気遣い合いながら生活している。「個人情報」という概念が存在しない社会。そんなソフトな管理社会を揺るがす大事件が起きる。世界中で同時刻に何の関係も無い大量の人々が自殺を図ったのだ。


 主人公トァンはソフトな管理社会に息苦しさを感じ、少女時代に友人と3人で自殺を試みて失敗した過去を持つ。現在はWHOの職員として海外の紛争地帯に勤務し、WatchMeのシステムを改ざんして密かに酒や煙草といった不健康な嗜好品をたしなんでいる。大量自殺事件で旧友のキアンを失い、事件の背後にかつての友人ミァハの影を見たトァンは、真相解明に乗り出す。


 作者の伊藤計劃氏は、2007年に作家デビューしてわずか2年後の2009年に肺ガンで亡くなった。享年34歳。本作が第30回日本SF大賞を受賞したのは死後の事であった。そんな情報を知っていたせいであろうか、登場人物たちが織り成す物語というよりも、まるで作者自身が直接語り掛けて来るような印象を受けた。個人的な読書体験から言うと、トマス・M・ディッシュの『歌の翼に』を読んだ時に同じような印象を受けたものだ。いや別に本作がディッシュに似ているという訳ではなくて(全く似ていない!)、真っ直ぐに突き刺さってくるような感触が共通していたという話だ。さておき、必読の一冊ですよこれは。