Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

『女のいない男たち』(村上春樹)

 村上春樹の短編集『女のいない男たち』読了。出た当時(2014年4月)に購入していたのですが、なかなか手をつけられず読むのが後回しになっていました。なかなか読み始められなかった理由は、このタイトルがね、何かイヤじゃないですか。「女のいない男たち」って何よ、モテない男の話かと。余計なお世話だよ(←被害妄想)、と思ってですね。実際読んでみると、このタイトルは全然違った意味でしたが。


 収録されているのは2013年〜2014年に掛けて執筆された6篇の短編です。タイトルは『ドライブ・マイ・カー』『イエスタデイ』『独立器官』『シェエラザード』『木野』『女のいない男たち』。読んでみると、表題の「女のいない男」とは、「女性に縁のない男」ではなくて、「女性を失った男」のことでした。各短編の登場人物たちは、病気で、自殺で、不倫で、それぞれの理由で妻や恋人を失っています(または失うことに怯えています)。妻や恋人が失踪するというエピソードは、これまでの村上作品にも繰り返し繰り返し出てきました。「地下(アンダーグラウンド)」と同じように彼が執りつかれているテーマなのかもしれません。「女性を失った」登場人物が激情に駆られて泣き叫ぶ場面など見当たらず、どちらかといえば静かな印象の一冊です。登場人物たちの年齢層が比較的高いことも関係あるかもしれません。「失った」ものを取り戻すには、もう残された時間が少ない男たち。それ故か、村上春樹の持ち味であるユーモアがあんまり感じられなかったのが寂しいところです。


 特に印象的だったのは『木野』でした。妻の浮気を知って家を出た男が、小さなバーを始めてバーテンダーとして働きだす。静かで居心地の良かったはずの店が、ある日呪われていることを知って・・・という怪談風味。不穏な暴力の予感が充満しています。収録された他の作品に比べると、これが一番従来の春樹っぽいかもしれません。ホテルの一室で闇のものに怯える、って描写も過去の作品に何度か登場したなあと。キノ、って響きから何か映画と関係あるのかなと思いましたが、そんなエピソードは出てきませんでした。


 村上春樹兵庫県で育った人ですが、関西人という印象は全くありません。『イエスタディ』には東京出身なのに完璧な関西弁を話す変わり者の友人が登場します。対する語り手は、関西出身ですが上京すると自然に標準語で話すようになります。そこには作者自身の体験、故郷に対するスタンスが語られているようで興味深いところです。友人が歌う関西弁の替え歌も面白い(ビートルズ著作権絡みで若干揉めたようですが)。本書に収録された短編はシリアスなものばかりで、先述した通りユーモアがあんまり感じられませんが、『イエスタディ』だけはユーモア(とほろ苦い後味)が感じられてホッとします。


 近作『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(略称『色つくの年』)を読んだ時、随分変わったなあという印象を受けました。それは否定的な意味ではなく、かつての作品とは違った領域に歩を進めているのだなという意味です。『色つくの年』では、等身大の登場人物たちが感じる心の揺れがそれまでになく素直に伝わってくることに感銘を受けました。本書に収録された短編の手触りは、『色つくの年』以上にストレートな物語であるという印象です。かつて彼の作品を親しみやすいものにしていた表面上の軽やかさ(ポップさというか)が次第に失われ、これから先は本書のようなシリアスで等身大な作風に進んでいくのかもしれません。それはすなわち自らの「老い」や「死」に向き合っていくということでもあろうかと思います。文体や作風がその時々のテーマに合わせて変化していくのはごく自然なことであり、長年に渡って一人の作家を読み続けるというのはそういうことなのでしょう。それを好きになれるかどうかはまた別としても。


女のいない男たち

女のいない男たち