Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

『市に虎声あらん』(フィリップ・K・ディック)


 フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』Voices From the Street(1952年)読了。ディックが弱冠25歳で執筆した幻の処女長編。何で「幻」かといえば、どこの出版社にも買ってもらえずお蔵入りになっていて、ディックの死後四半世紀経ってようやく出版された作品なのだ。ただし、これ非SF。もの凄い邦題だが、それに相応しい前のめりの過激さが感じられ、純文学作家を目指していた若きディックの野心が漲る熱い作品であった。


 物語の舞台は50年代の、アメリカ・サンフランシスコ。核戦争の恐怖と赤狩り等々不安渦巻く時代の中で、街の小さな電気屋で働く青年が仕事と結婚生活、宗教に自らを失ってゆく様を描く。後年のディックを髣髴とさせる主人公の膨れ上がる自意識、ドラッグやカルト宗教の存在も興味深いが、当時のアメリカの空気や街の様子がドキュメンタリーのように生々しく捉えられているのが良かった。