Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

読書記録その7

 昨日の続きです。最近読んだ書籍、または大分前に読んだけど感想を書きそびれていた書籍について、ここらでまとめて感想を書き記しておきます。   


『American film 1967-72 「アメリカン・ニューシネマ」の神話』 

 『American film 1967-72 「アメリカン・ニューシネマ」の神話』(1998年)。これは何度読んでも興味の尽きない一冊だ。ダーティ工藤遠山純生他執筆者の文章も良いし、未見の面白そうな映画がまだ沢山あるのだということに嬉しくなってしまう。ジョン・ヒューストンの『ゴングなき戦い』(FAT CITY)とか見たいなあ。


American film 1967-72―「アメリカン・ニューシネマ」の神話 (Neko cinema book―Academic series)

American film 1967-72―「アメリカン・ニューシネマ」の神話 (Neko cinema book―Academic series)



『映画=日誌―ロードムーヴィーのように』(梅本洋一) 

 久しぶりに梅本洋一『映画=日誌―ロードムーヴィーのように』(1988年)を再読。学生時代に読んで大きな影響を受けた映画本のひとつ。ちょうど30年前に書かれた文章が載っている。「状況」は変わっている(大型映画館が閉館、ミニシアターやレンタルビデオ店が増えた80年代後半。今はレンタルビデオ店は斜陽となり、再び大型映画館/シネコンが主流となっている。NET配信という新たな媒体も)し、採り上げられた作家たちの評価も当時とは変わっている。が、映画を体験として記録する姿勢は今でも同じだと思う。


映画=日誌―ロードムーヴィーのように

映画=日誌―ロードムーヴィーのように



『異邦人』(アルベール・カミュ) 

 30年ぶり?くらいにカミュの『異邦人』(1942年)を再読。出張の際に駅の書店で購入して、移動中に読んだ。学生の頃は全くピンとこなくって、何でこんなものが名作扱いされてんだと思ったものだが、この年齢になって読んでみると、良く分かる。良く分かるというか、不条理?いや、こんなの今や普通でしょう、という感じ。そういった意味ではカミュの先見性には今更ながら感心した。本作はルキノ・ヴィスコンティ監督によって映画化されている。マルチェロ・マストロヤンニアンナ・カリーナなど出演者にも惹かれるし、機会があったらぜひ見てみたいと思う。マストロヤンニが「きょう、ママンが死んだ。」とか「太陽が眩しかったから」とか言う姿を見てみたい。


異邦人 (新潮文庫)

異邦人 (新潮文庫)



眼球譚』(ジョルジュ・バタイユ) 

 時代のせいか別名(ロード・オーシュ名義)で発表されたというバタイユの処女作『眼球譚』(1928年)。古典のお勉強という堅苦しい印象は全く無くて、短いし、エロいし、毒気もあるし、普通に面白かった。ゴダールの『ウィークエンド』でミレーユ・ダルクに対しセクハラ的な使われ方(延々朗読させられる)をしていたのは『眼球譚』じゃなかったかな。


眼球譚(初稿) (河出文庫)

眼球譚(初稿) (河出文庫)

ウイークエンド Blu-ray

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『新編 われわれはなぜ映画館にいるのか』(小林信彦) 

 小林信彦の映画エッセイ集『新編 われわれはなぜ映画館にいるのか』(2013年)。「キネマ旬報」の連載が主となっていて、オリジナルは1975年刊。二度目の復刊とのことだ。取り上げられている作品の多くは自分にとってリアルタイムではない時代のものであり、ほとんど後追いで見たものばかり。小林氏のわかりやすく的を得た評論で、それらの作品が当時どのように受け止められていたのかが楽しく伝わってくるのがいい。追加の記事として、植木等との対談、『仁義なき戦い』40周年を記念しての芝山幹郎との対談が収録されている。



 この項、続く。