Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

『父と息子のフィルム・クラブ』(デヴィッド・ギルモア)

 

 

 デヴィッド・ギルモア『父と息子のフィルム・クラブ』 Film Club(2008年)読了。デヴィッド・ギルモアピンクフロイドの?と思ったら、全然関係ないカナダの小説家・映画評論家でありました。

 

 語り手は父親。「学校に行きたくない」という息子に、父親は学校を辞めてもいいがその代わり「週に3本、映画を一緒に見よう」と言う。「それが、これからおまえが受ける唯一の教育だ」と。本書はギルモア親子が過ごした3年間、一緒に観た約120本の映画を通じて、息子が成長していく姿を綴ったノンフィクションです。著者紹介の部分には仲良く並んだギルモア親子の写真もあり、へえこんな事本当にあるんだと不思議な気持ちになりました。

 

 ギルモア父は、息子を正しく導くためにはこの方法でよいのか、この映画でいいのか、と葛藤しながら、息子とコミュニケーションを図ります。それはまあ感動的なのですが、途中から「映画」は置き去りにされていくように見えます。自分の仕事の話、息子の恋愛の話、ドラッグの話、アルバイトの話・・・と本書の中心は「人生」となり、この親子にとって「映画」は単なるきっかけ、脇役に過ぎないことがわかってきます。そりゃあそうでしょ、これ実話なんだし、親子の交流や、恋愛に仕事に悩みながら成長し自立してゆく息子の姿、そして一緒に見た映画のエピソード(というか蘊蓄)、とても感動的な1冊じゃないか・・・と思いつつ、自分としては最後まで居心地の悪さを拭いきれませんでした。

 

 この息子ジェシー君はとても素直で良い子だと思います。若さゆえの脱線もするけれど、基本的には親父の「フィルム・クラブ」に律儀に付き合って、しまいにはウディ・アレン作品のカメラマンを正確に言い当てられるようになり、「キューブリックの『ロリータ』よりエイドリアン・ラインの『ロリータ』の方良い」と自分の意見を述べられるようになります。ギルモア父は息子の成長に感動しているようですが、それでいいのか?そんなことを望んでたのか?

 

 もし、自分が高校時代に不登校になり煮詰まっている時に、親父から「学校辞めてもいいけど、週3本一緒に映画見て語り合おう」と言われたらどう思うだろう。そんなのどう考えても、絶対に嫌だ。親父の薦めてくる映画なんて片っ端からこき下ろしたくなるに決まっている。いきなり『大人は判ってくれない』見せられたらどうすればいいのよ。この辺、息子ジェシー君の素直さはちょっとした驚きでした。もし自分が親父の立場であっても、これだけはやらない気がする。人生勉強や教訓を得るために映画を見るなんて。

 

 そもそも「映画」と「人生」は似て非なるものであり、時には激しく対立するものだと思います。そんな時に映画好きなら「人生」の論理ではなく、「映画」の論理を選ぶはずだ。そういったものの見方は親父に教わるものでなく、自分で体得するもののはずだ。と、そんな感じで、本書を読んでいる間中ずっとモヤってましたね。

 

 本筋とは関係ないけれど、印象に残った部分をふたつ。

 ギルモア父のセレクトには、カナダ出身のデヴィッド・クローネンバーグ作品が3本(『シーバーズ/人食い生物の島』「デッドゾーン』『スキャナーズ』)紛れ込んでいます。しかも彼はクローネンバーグに何度かインタビューしていて、子育てについて話したエピソードまで出てきます。クローネンバーグ息子ブランドンも映画監督になった。初期クローネンバーグ作品に関わり、同じくカナダ出身でハリウッドに進出したアイヴァン・ライトマン、息子のジェイソン・ライトマンの話題は出てこない。クローネンバーグの方がカナダではメジャーなのかな。

 

 本書の終盤、無事「フィルム・クラブ」を卒業した息子はミュージシャンとなり、親父をライヴに誘います。会場は「エル・モカンボ」。おお、エルヴィス・コステロの『ライヴ・アット・ジ・エル・モカンボ』!「エル・モカンボ」はカナダのトロントにあるライヴハウスなのでした。