Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

『キリエのうた』(岩井俊二)

 

 岩井俊二監督の新作『キリエのうた』鑑賞。岩井監督と言えば、二人の女性の関係性、時勢が違う複数の物語が交錯する構成、一人二役、ゆらゆら揺れるカメラ、空撮、エモい音楽、書くという行為、唐突な暴力‥‥。ファンじゃない自分でも特徴を列挙できるくらい明確な作風を持っている。『キリエのうた』は全編こういった岩井テイストが満載されていて、ファンなら文句なく楽しめるであろう万全の「岩井俊二映画」だった。映像には妙な迫力があって、女の子を撮りたい、キレイに撮りたいという岩井監督の業の深さは大林宣彦級なんではないかと思ったなあ。

 

 上映期間が178分と聞いてどんな大河ドラマかと思えば、基本的には4人のメインキャラクターの関係性を描く青春映画だ。何故にそんなに長くなってしまうのかと考えると、作劇に問題があるのかなと思う。

 

 本作は予告編を見たくらいでほとんど予備知識のないまま見たので、東日本大震災の話が出てきて驚いた。主人公は震災孤児という設定なのだった。(公式HPを見たらちゃんと明記されていたので別に隠していたわけではないと思う) 地震の描写には異様に気合いが入っていて(浴槽の水面で揺れの大きさを見せる演出が効果的)、当時仙台在住だった身としてはあれこれ記憶がフラッシュバックした。にしてもあんなに長々と描く必要があったのだろうか。しかも震災場面はキリエ(姉の方)と付き合っていた彼の回想であって、そこにキリエ単独の場面や心情描写がたっぷり盛り込まれているのはかなり変だった。全編この調子なのでそりゃあ長くもなるなと。アメリカンな省略技とは全く違うベクトルで作劇が成されてるなと思った。さらに言えば、あの不自然なシチュエーションはキリエの下着姿を見せたかったからじゃないかと思ったり。

 

 178分を見終えて、あれこれ一体何の話だっけと。不自然なシチュエーションを堂々と見せ切る映像の力はあれど、ドラマとしてはかなり歪なものだ。「震災孤児の魂の救済」というテーマと、アイナ・ジ・エンドという逸材を得て展開する「歌の力」というテーマは上手く連動していなかったように思う。

 

 本作は鈴木慶一出演作というムーンライダーズ案件でもある。慶一さんは岩井作品の常連で、『PICNIC』では「塀の上で」語る牧師役、『Love Letter』では父親役、『Last Letter』では祖父役、『キリエ』ではついにその先の役を演じている。岩井監督は63年生まれ、いわゆる「フォーク・ニューミュージック」世代。(慶一さん含め)ミュージシャンがたくさん出演しているのはそのせいなのかな。誰とは書かないけど個人的に胡散臭くて苦手な奴も出てましたが。

 

 今回見て、空気感を優先した画面作り、生々しい演技、突然の暴力、という岩井演出は、何処となく市川準と似てるかもしれないなと思った。90年代に独特の作風で邦画に新風を吹き込んだ市川監督の最良の後継者なのかもしれない。