Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

『ミスター・ヴァーティゴ』(ポール オースター)

ミスター・ヴァーティゴ (新潮文庫)

ミスター・ヴァーティゴ (新潮文庫)


 ポール オースター『ミスター・ヴァーティゴ』(1994年)読む。「ヴァーティゴ」Vertigoとは「めまい」の事で、ヒッチコックの映画『めまい』の原題でもある。さて「めまい氏」とはどんなお話なのだろうか。文庫の表紙はシルクハットの紳士と少年のイラストで、児童文学のような感じ。この紳士が「めまい氏」なのだろうか?


 9歳の孤児の少年が、「空を飛べるようにしてやる」と言う謎の「師匠」に連れられて修行生活に入る。想像を絶する過酷な修行の果てに、少年は空中浮遊の能力を身につけた。「師匠」とともにアメリカ中を巡業し、人々を魅了するのだったが・・・。


 粗筋だけ読むと、正に表紙のイラストそのままのファンタジックな児童文学のようだ。しかし、実際には無知な9歳の孤児が(文字通り)アップ・ダウンを繰り返しながら人生をサバイヴしてゆくという過酷な小説である。ジャッキー・チェンカンフー映画よろしく、胡散臭い「師匠」の過酷な修行に耐えて空を飛べるようになるというファンタジー大恐慌や戦争やKKKといったアメリカの現代史、大衆演芸やメジャーリーグといったアメリカン・カルチャー、誘拐や毒殺といった犯罪、性の目覚め、ギャング映画のごとく成り上がってゆく第2の人生・・・・。オースターがぶち込んだ様々な要素が、何だか上手く連動していないような印象を受けた。特に主人公が「師匠」の復讐を遂げてからの展開はかなり無理やり(特に野球選手のエピソード)な感じがしたなあ。寓話的といえば聞こえはいいけれど、どこかペース配分を間違えているというか、オースターの意図するよりもずっと不愉快な小説になっているような気がした。少なくとも、オレはあんまり楽しい気持ちにはなれなかったなあ。オースターの筆致が「飛翔」よりも「落下」を描く方に熱を帯びているからかもしれない。


 何と本作をテリー・ギリアムが映画化するという話があるらしい。老人の手記という語り口、「空中浮遊」というファンタジックな見せ場は、確かにギリアムに向いているかもしれない。ギリアムのテーマはいつも「物語は、信じる力で真実となるのだ」ということだ。上手くいけば、原作以上に豊かな映画になるかもしれない。