Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

『闇の中の男』(ポール・オースター)

闇の中の男

闇の中の男


 ポール・オースターの近作『闇の中の男』Man in the Dark(2008年)読了。宣伝コピーに曰く「ブルックリン在住のオースターが、9・11を初めて小説の大きな要素として描く長編」とのこと。9・11かあ・・・。『幽霊たち』以来の愛読者ではありますが、ちょっと腰が退けてしまい読んでいませんでした。今回意を決して読んでみたところ、これが思いがけず、タイムリーな内容でありました。


 語り手は妻を病で失った元書評家の老人。自らも交通事故で車椅子の生活を余儀なくされています。毎晩眠れぬ夜を過ごす老人は、暗闇の中で、ある青年の物語を夢想します。青年が目覚めると、そこは9・11もイラク戦争も起きなかった「もうひとつのアメリカ」でした。その代わり、ある州が独立を宣言したことからアメリカは内戦状態に陥っています。その「もうひとつのアメリカ」で軍の工作員として徴兵された青年は、ある老人の暗殺を命じられます。主人公の青年は「現実のアメリカ」に戻ることを願って逃亡を企てますが・・・。


 青年が暗殺するべき相手は、物語の作者である老人です。車椅子の老人が、内戦状態のアメリカで自らを暗殺しに来る青年の物語を夢想する・・・。物語の中にもうひとつの物語が入れ子になっているというオースターお得意の語り口です。「もうひとつのアメリカ」にはディストピアものSFの趣もあり、どう展開していくのか興味深く読んでいたのですが、老人の夢想がこれ以上展開することはありません。「もうひとつのアメリカ」で奮闘する青年の物語は、バッドエンディングを迎えて唐突に断ち切られてしまうのです。


 ここから、『闇の中の男』は語り手の老人とその家族の物語へと移っていきます。老人は娘と孫娘と同居しています。娘は夫を失い、孫娘も恋人を失い家に閉じこもっています。喪失感を抱えた老人、娘、孫娘がそれぞれとの交流を通じて再生への道を模索します。お話の流れ上、孫娘の恋人が死んだ原因は9・11なのだろうと思って読んでいたら、そうではなくて、「某国である組織の捕虜になり処刑された人物」という設定なのでした。タイムリー、と書いたのはそういうことです。(もっとも、アメリカでは本書が書かれた2008年頃には既にタイムリーな状況設定になっていた、と言えるのかもしれません)


 時折、老人と孫娘は2人で映画を見て感想を語り合います。映画の選択について孫娘はこう言います。「いい映画じゃなかったら選ばないわよ。クズはなし。それがルール、でしょ?どんな映画でもいい。狂ってるのでも崇高なのでも、だけどジャンクはなし」そうして採り上げられた作品は、ビットリオ・デ・シーカ自転車泥棒』、サタジット・レイ『大地のうた』、そして小津安二郎東京物語』・・・。特に『東京物語』は様々な場面のディティールが描かれ、重要な作品として扱われています。現実で理不尽な暴力に翻弄された老人と孫娘が、「もっと真っ当なこと」が描かれた映画を見たいと願う、別におかしなことではありません。映画の力を感じさせる感動的な設定でもあります。でもなあ。お話の上では分かるのですが、どうもよそいき過ぎて嘘っぽいなあというのが正直な感想です。読んでいて強烈な違和感というか、むず痒さを感じてしまいました。確かにロバート・ギンティ主演『エクスタミネーター』とか見てもこの2人は救われないのかもしれませんが・・・。ジャンクでもいいじゃないか、と思います。悲しいときや寂しい時は特に。そして映画館で映画を見るという行為は、闇の中の男になる、ということではありませんか。