Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

『見るレッスン 映画史特別講義』(蓮實重彦) 

 

 『見るレッスン 映画史特別講義』(2020年)読了。新刊『ショットとは何か』も話題の蓮實重彦、『見るレッスン 映画史特別講義』は光文社新書で、先生最初で最後の新書なのだという。帯の煽り文句がなかなか凄い。「他人の好みは気にするな 勝手に見やがれ! 誰よりも映画を愛する教授が初めて新書で授業」

 

 中身は『シネマの記憶装置』の昔から変わらぬ蓮實節で、大胆な擁護とこき下ろしの連続。新しい邦画(小田香、小森はるか濱口竜介三宅唱他)をきちんとチェックしているのが偉いなあ。本書では劇映画だけでなく、ドキュメンタリー(フレデリック・ワイズマン小川紳介、佐藤真他)にも大きくページが割かれています。映画評論家の最大の使命は、読者を映画鑑賞へと駆り立てる(映画を見たいと思わせる)ことだと思います。この点でも『シネマの記憶装置』の昔から変わらぬ語り口は健在。自分は蓮實先生の信奉者というわけではありませんが、先生の文章読むと、面白そうだなデヴィッド・ロウリーとか、そこまで言うならちゃんと見てみようかトニー・スコットとかちゃんと思うもんなあ。さておき、中に印象的な一節がありました。以下に引用してみます。

 

「映画は「救い」ではない。救いとなる映画はあるかもしれませんが、救いが目的では絶対になくて、映画とは現在という時点をどのように生きるかという事を見せたり考えさせたりしてくれるものです。

 映画を見る際に重要なのは、自分が異質なものにさらされたと感じることです。自分の想像力や理解を超えたものに出会った時に、何だろうという居心地の悪さや葛藤を覚える。そういう瞬間が必ず映画にはあるはずなのです。今までの自分の価値観とは相容れないものに向かい合わざるをえない体験。それは残酷な体験でもあり得るのです。」

 

 自分のこれまでの映画体験を振り返ったり、これからの映画への向き合い方について考えたりする時に度々思い出しそうな、示唆に富んだ言葉だと思います。新刊『ショットとは何か』も読んでみよう。