Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

『探偵マーロウ』(ニール・ジョーダン)

 

 昔から探偵映画が大好きで、『三つ数えろ』『キッスで殺せ!』『チャイナタウン』といった名作から、アクション志向の『探偵マイク・ハマー/俺が掟だ!』、邦画のひねり技『ありふれた愛に関する調査』等に至るまで、探偵が出てくる映画なら何でも興味がある。そうしたら、私立探偵フィリップ・マーロウを主人公とした新作映画が公開されるとの情報が。久々の本格探偵映画を封切で鑑賞できる!何を映画化するのかと思ったら、これがチャンドラー原作ではなかった。かの名作『ロング・グッドバイ』(自分の世代だと『長いお別れ』の方がしっくりくるかな)の「公認続編」という『黒い瞳のブロンド』の映画化なのだという。

 

 という訳で、まずは原作『黒い瞳のブロンド』(2014年)を読んでみた。作者はベンジャミン・ブラックアイルランドの作家ジョン・バンヴィルの変名との事。どんなものかと読んでみたら、これが全くノレなかった。ここには面白いプロットも無ければ魅力的な登場人物も出て来ない。言い方は悪いが、これは酷い紛い物ではないか。かの名作の続編として認める気にはならないし、語り手をマーロウとも思わない。マーロウの巧みな比喩を交えた辛辣な独白から、アメリカの世相、風景、人物が生き生きと浮かび上がってくるところがチャンドラー作品の魅力。そこを再現し損ねてるからとても偽物臭い代物だった。二日酔いの詳細な描写は身につまされたが。

 

 原作読んでちょっと気が削がれつつ、ニール・ジョーダン監督『探偵マーロウ』鑑賞。TOHOシネマズ錦糸町にて。舞台は1939年、ロサンゼルス。私立探偵マーロウ(リーアム・ニーソン)のもとに、裕福そうな美女クレア(ダイアン・クルーガー)現れ、失踪した元愛人を捜して欲しいと依頼する。マーロウは調査を開始するが、元愛人はすでに轢き逃げ事件で死亡していた‥‥。

 

 映画の原題はMarlowe。つまり主人公マーロウありきの映画だ。マーロウを演じるのは演技派かつ肉体派、両面で活躍するリーアム・ニーソン。本作が映画出演100本目の記念作。ルックスも立ち姿も嗄れた声も良い。しかし個人的には、マーロウにしては重すぎるという印象。年齢的に動きが緩慢なのが残念。マーロウはもっと軽快なイメージであり、本作のニーソンやロバート・ミッチャムの2本には大いなる違和感を感じてしまう。ニーソンの年齢もあるのか、原作にあったマーロウがクレアと関係を持つ展開は無くなっている。

 

 映画は原作の人間関係や事件の背景を整理し、単体作品として成立させている。原作とは後半の展開が大きく異なり、オチが違っている。故に『ロング・グッドバイ』の続編要素がなくなっている。それはいいとして、問題は探偵映画としての見せ場がダイジェストされてしまったこと。映画の冒頭は、時代色を再現した街並み、探偵事務所のセットなど雰囲気たっぷりで期待が高まったが、これにはガッカリした。何しろ、映画のマーロウはろくに探偵らしい調査をしない。原作では様々な駆け引きを繰り広げる刑事との関係も、最初から協力的で情報もらいまくり。探偵もの定番の「殴られて意識失う」のも一回だけじゃ足りない。「危機に陥っても軽口を叩く」のも。ううむ。探偵映画らしいディテールをもっと見たかった。原作で唯一良かった二日酔いの詳細な描写も無かったし。

 

 原作では50年代だった時代設定を、映画は第二次大戦が始まった頃に変更。ハリウッド撮影所が重要な舞台となっている。楽屋落ち的に『黒い瞳のブロンド』が出てくる辺りは好きだった。映画は反ナチのプロパガンダ映画の撮影風景で幕を閉じる。この辺も、もっと突っ込めば闇の深さが出ただろうにと思う。

 

 監督は『クライング・ゲーム』『モナリザ』のニール・ジョーダン。原作には登場人物の背景にアイルランドがあり、マイケル・コリンズに言及したりする場面がある。オリジナルの原作者レイモンド・チャンドラーのルーツも実はアイルランドだという。故にジョーダンの起用となったのかと思うが、映画では全くその要素は無し。銃撃場面の切れ味だけは良くて、ジョーダンの持ち味はバイオレンス描写にのみ発揮されていたようだ。マーロウが捕らえられ拷問を受ける場面は、原作ではプールが舞台だが、映画ではご丁寧に拷問部屋が出て来る。この場面など急に画面が生き生きして(死体が何体も放置してある禍々しい映像)、銃撃ショットの切れ味はさすが。マフィアの運転手と連帯し「二人で行くなら、二人で生きて帰ろう」なんて急に活劇らしい展開になるのが嬉しいというより唐突すぎて何だかなあと。

 

 長々と不満を書いてしまった。久しぶりの新作探偵映画なんで期待が大き過ぎたかな。