Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

『オラクル・ナイト』(ポール・オースター)

 ポール・オースターの近作『オラクル・ナイト』(2003年)読む。翻訳は柴田元幸氏。


 オースターは、学生時代に初期のN.Y.三部作(『幽霊たち』『鍵のかかった部屋』『シティ・オブ・グラス』)に衝撃を受けて以来、ずっと読み続けている作家だ。その三部作は勿論、『ムーン・パレス』『偶然の音楽』『幻影の書』あたりが特に好きな作品。


 主人公は、重病から生還してリハビリ生活を送る小説家シドニー・オア。妻が仕事に出掛けている間、シドニーはリハビリを兼ねてブルックリン界隈を散歩するのを日課としている。ある日、散歩の途中で見つけた文具店「ペーパー・パレス」に立ち寄ったシドニーは、ポルトガル製の青いノートを購入する。帰宅したシドニーは早速そのノートに新しい小説の構想を書き始める。体調も次第に復調し、折から映画脚本の話が舞い込んで来たりして、全てが順調に進み始めたかに思えた。しかし、闘病生活を支えてくれた妻の様子が次第におかしくなり始めた・・・。


 主人公自身の物語、恩師トラウズと息子の確執、妻グレースの抱えた秘密、さらには主人公が構想する小説(オースター得意の失踪者の話)や映画脚本(タイムトラベルもののSF)といった物語内物語など、いくつもの物語が重層的に描かれてゆく。地下に隠された電話帳の図書館とか、謎の行動を取る妻の告白とか、主人公が怪しげな風俗店でオーラル・セックスを体験するとか、どことなく村上春樹を連想させる部分もある。ミステリアスな要素が次第に収斂していく様子はとても鮮やかだ。


 物語は終盤に入って急に暗転する。これはオースター毎度のパターンで、近作では『幻影の書』がやはりそうだった。『幻影の書』はとても好きだったけれど、本作はどうも好きになれない嫌な後味が残った。何故だろう。結局近場の人間関係に着地するお話にしては、「ペーパー・パレス」のくだりが思わせぶりに過ぎるからだろうか。


 さておき、本書は深い青色の装丁がとても美しい。本編に出てくる「青いノート」を模したものだろうか。確かに、こんなノートを文房具店で見つけたら間違いなく買ってしまうだろうね。



オラクル・ナイト